c71の一日

生活の記録

言葉が飛んでいく

わたしの言葉が飛んでいく。
誰かの心に飛んでいく。

わたしはその行き先を知らない。言葉がどんな役割を果たしたのかも知らない。


この二日で、五万回もブログを読みに来た人たちがいた。
わたしの人生では初めて起きたことだ。


わたしはいつものように過ごそうと思っているけれど、それがなかなか難しい。
わたしの言葉に反射して、誰かから飛んで来た言葉がわたしの心に突き刺さる。

言葉が飛び交っている。誰にも会っていないのに。


不思議な感じがする。
こんな経験は初めてだ。
一週間前、二万回読まれたときに、こんなことはこれで一生に一度で最後だと思った。
でも、また起きた。


わたしは何も変わっていないのに、こうして変化が訪れる。

読んでほしいから書いている。読んでもらえるのは嬉しい。
その一方で飛んでくる言葉に怯える。
優しい言葉にほっとする。
でも、わたしの言葉はそんなに大層なものじゃないのに、とも思う。戸惑う。


言葉はいつも自由なんだと思っていた。
自分の思ったことをひたすらに書いているだけ、それだけなんだと思っていた。
でも、読む人の人数が増えると、それだけでは受け取られないんだと思った。


今日は、仕事が早く終わった。暑い日で、移動が大変だった。
わたしは二つの仕事を掛け持ちしている。
休憩を挟みながら働くのが合っている。

社会保障も何もないし、わたしを守ってくれる組織もない。
わたしは組織を利用するほど器用な人間ではないし、病気だから、たくさんは働けない。
文章を書くのは単なる趣味だ。
わたしに何かを期待する人なんていないと思っていた。
でも、ここまでたくさんの人が集まると、期待する人がいるのではないか、期待に応えなくてはいけないのではないか、そんな錯覚にとらわれてしまう。


でも、わたしはわたしだ。
わたしがわたしのままでいたから、人が集まって来たのだ。

だから、期待に応えなくてはと思ったとたんに、わたしが果たせる役割は失われてしまう。


心細い。
落ち着いて、身の回りのことを大切にして過ごしたい。
今まで見て来たことを大事にしたい。
変わらずにいたい。それがわたしにできることだと思う。
言葉ばかりの世界に溺れてしまっては、からだが存在することを、忘れてしまう。
わたしには体がある。
手足がある。どこにでも行ける。
わたしは言葉だけじゃない。
なんだってできる。


言葉が飛び交っている。
優しい言葉も、矢のような言葉も。
いろいろな気持ちがやってくる。
波のように打ち寄せては還っていく。
わたしはその波打ち際で一人立ちすくむ。