c71の一日

生活の記録

好きになったり好かれたり

わたしは異性とご飯を食べにいったりするし、旅行も行きます。

それは許可を誰かにとってするようなことではないと思います。

わたしは何年かかけて、自分の自由を尊重して解放することを学んだので、人に、それをわざわざ許可してもらうことをいやがるのです。


それが実際にできるかどうかはどうでもよくて、自分自身で決められるかどうかが、大事です。それに、対して「しても良いと思う」と言われたら、それはすでに台無しです。自分で決めて、自分の稼いだお金で行動する、これが心の自由を保障するのです。


どんなに大事な人であっても、好きな人であっても、わたしの心もからだも自由にはならないのです。
過去も未来も誰のことも約束も束縛もできない、だけど、今一緒にいる相手のことを楽しませたいと思うのです。
わたしは好きな人が食事に行こうと旅行に行こうと関心がありません。
それは、相手のことに興味がないからと誤解されることが多いのですが、尊重したいからです。
その人の選択と人生を尊重したいからです。


好きになっても好かれても、相手の行動半径を、狭めることがあってはいけないと思います。お互いの範囲を広くすることがあっても、狭くするのだったら、一緒にいる意味がナイトすら思います。


わたしは、母を捨てて、ようやく人生の自由を勝ち取ったのですから、やすやすと誰かにわたしの人生を渡すことはできないのです。そうしたら、魂が死んでしまいます。魂は心ではいけません。


わたしはブログをやってから、人に文章を褒められることが続きました。
そして、わたしの人柄も評価してくれるひともいるようです。



だけども、わたしは普通の人です。人格者でもないし欠点が多い人間です。
表現力が高いことと、人間的に素晴らしいかどうかは、別に関係がないと思います。


わたしは、支配されていたあの頃に戻りたくないのです。それには決別が含まれます。
わたしは冷たいのです。非情な子だと評価した人々をわたしは捨てました。


冷たいわたしを、自分で誇らしく思います。