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c71の一日

生活の記録

人権、搾取、虐待

コメント欄を見ていると、人権について、理解を間違っている人がいるのだと思うようになった。


また、わたしに対して、甘えてくる人たちの中には、女性から虐待、搾取をされていて、その虐待してきた女性を強いと思ってしまったのだと思う。そして、強い女に見える「フェミニスト」を虐待者と重ね合わせているだけだ、という可能性もあるなあ、と思うようになった。

そのへんが未分化なんだと思う。本当に、つらいんだろうな、と思う。
それはつらい。自分に何が起きたかわかっていなくて、誰も支えてくれなくて、支援してくれるところにも繋がれなくて、男性だとそもそもそういうところがないし、訴えることもできないし、それくらい我慢しろよ、と言われてしまうだろうから、きっと傷はいつまでも癒えない。

それは、フェミニストに対して、怨念を抱いている、というコメントを見てそう思った。



わたしの文章は平易だから、絶対にわかるだろう、と思ったエントリで、わけのわからない絡まれ方をしたとき「わかった上で、受け入れられないから、ごねているのではないか」という意見をもらってなるほどそうか、と思った。


みんな、甘えたいんだね。


人権を説明する。
人権は国に対して生まれながらに請求できる権利のことです。だから、義務は伴わないのです。
国って言うのはろくでもないものだから、国民が縛り上げていかないといけない。監視しないといけない。

そんで、国がバカなことをしないように、そして、最低限国はこれをやれよ、というのが権利です。だから、義務はむしろ、国にあるのね。


そんで、国は、人権を保障するんだけど、その人権の中に「セックスする相手をあてがって、結婚させる」というのはないのね。それは、相手の人権を、削っちゃうからです。あてがってもらった人はハッピーかもしれないけど、あてがわれた人は、「うーん」みたいになっちゃうから、誰かの権利を侵害するような要求は国にはできないのです。



法律って国を縛るものです。明文化して、これをしたら、こう罰しますけど、これ以上の罰を国が勝手に決めてはいけない、って。じゃないと、自由奔放に拷問したりするからね、国。そういうのを避けるんです。今でも自由に拷問してて、国連から勧告を受けているけどさ。



そんで、アンチフェミニストを名乗る人って、身近な人から、搾取や虐待されてて、でも、それを話す言葉とか、理論とかがなくて、だから、フェミニストって、目立つ女を、女の代表みたいに思って、それで、搾取した人に怒りが向かないで、いっぱいコメントしたり、いやがらせみたいなことをしちゃうんじゃないかと思った。

アンチフェミニストを名乗る人の中に、虐待されていた人がいるんじゃないかなあと思う。

なんでかというと、自己肯定感が異常に低いから。
推測はいけないと思うんだけど、好意的に思いたいから。


男性が女性から搾取されるってことはあると思います。
そんで、フェミニストはそういうひとの敵じゃなくて、そういう人も助けたいと思ってる。

なんでかというと、男は強いものだ、という価値観にも反対しているのが、フェミニストだから。
そして、強いものが弱いものを搾取することを許さない、って言いたいのもフェミニストだから。
女性の権利は優先になってしまうけど、男性が搾取されて、それですごくイイ!とは思っていませんよ。少なくともわたしは。


だから、わたしは、虐待されていた自分を語るところから、はじめて欲しいと思う。弱者男性と名乗る人にそれを望む。
そうしたら、寄り添う人も現れるはず。
言葉がないから、攻撃になってしまって、本当に訴えたいことからずっと離れてしまうから、それでいて望みを叶えてくれないフェミニストを恨んでしまう、ということは、本当に虚しいと思うから。


だから、語ってほしい。
生きづらさを。
どういうことがあったのか。
具体的に。
それは、あなたを自由にする。
呪いから解き放たれる。
わたしもそうしている。
わたしは自分の呪いを解きたい。


甘えられても困るわたしがいる。
けれど、ともに歩めなくても、きっと同じように歩んでいくことができる、そんな淡い予感を感じた。

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