c71の一日

生活の記録

男の弱さ #HeForShe

HeForShe
HeForShe | ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日


これを読んで、動揺しました。

そして、



って男の弱さってなんだろうと思い、


女のいない男たち: muse-A-muse 2nd


で、男性の揺らぎについて読みました。



正直なところ、わたしには男の弱さというものがわかりません。
ここ数日「強者女性」と言われていたのですが、なんのことやら…。
非正規雇用ワープアで、体も心も弱いし、社会的地位もないし、どこが強いのかと。
最初、自己表現できることが強いのかなと思いました。
わたしは黙ってないので。
自己表現できない人の気持ちはわからないのですが、そう言う人にとってはうらやましいかもしれないと。

昭和の二十年間ほど、日本では、レールに乗ってしまえば、働けて、出世もできて、お金も稼げて、女性を「獲得」して、専業主婦にして、ステータスを得ることができた男性。それを伝統だと信じていた男性。

伝統を信じていたのに、そのはしごをはずされ、今はそうじゃない男性が、いるので、その男性が、「弱者」を名乗っているのかなあと思いました。


でも、わたしにとっては、数を頼んで、徒党を組んで現れているように感じたので、一対多のように感じて、相手が弱いとはとても思えませんでした。
ただ、相手がわたしを強いというので、そうなのかな、と思いました。



男性がわたしと同じ立場になったときに、わたし以上に、社会的重圧を感じるそうです。
そうなのかな…。わたしもけっこう今の時点でたいへんなんだけど…社会的重圧どころじゃないんだけど…。と思わなくもないのですが、男らしさ、男だったら泣き言を言わない、という圧力があるらしいのです。

わたしは社会的同調圧力、というものをあまり体験できない体質なので、それがあっても、精神に及ぼす効果が理解できないんですが、どうもみんなの説明によるとそうらしいのです。


だから、生きづらい、という。


……やっぱり、あったはずの既得権益が奪われて怒っているみたいな話にしか思えないんだけどそれは置いておいて、自分の恋人に出演願おう。


わたしの恋人は頑丈な人である。
一ヶ月現場に泊まり込みの仕事をして、二週間ぶりに家に帰ったあと、ゴルフの撃ちっぱなしに、仕事帰りにいくのである。そして、肋骨を疲労骨折しているのに、「症状がわかっているから安心」
「慣れたから大丈夫」という謎発言を繰り返すのだ。


ある意味すごく男らしい人だ。

でも、おしとやかなところだとか、好きだ好きだとこまめに言ってくれるところだとか、そういうまめなところが多くて「女っぽい」ところもいっぱいある。弱いところも時々見せる。けど、素直だから、すぐ解決する。すごく素直で、男性と話すだけで嫉妬するほど、嫉妬深いのに、わたしが「人類の半分は男性だから、友だちになることもあるよ」と言ったら「そっかー」とそれだけで納得していた。


女性はものじゃないので、獲得物じゃないのである。尊重されることと、獲得物として価値があることは違うのである。獲得物として価値があるとまなざされたとき、尊重は奪われる場合が多い。


でも、結婚によって、「男性は」「女性を」獲得すると思っている人が一定数いるようだ。驚いた。


わたしの恋人は普通に言ったら男らしい人だが、そうでないところもたくさんある。自分の気持ちを言うことができるから、そういう意味では「女っぽい」。彼は十分に男らしいから、男らしさで認められる必要がないのだろう。

男らしいから、男らしくない。
入り交じっている。

本当は誰でもそうなんだろう。
わたしも、女らしい、女らしくない、男らしい、男らしくない、こんな風に入り交じっている。だから、男らしいも女らしいも言葉の意味を失ってしまう。

意味なんて失ってしまえ、と思う。


わたしは男性が、「男らしさ」に縛られることは無益だと思っている。害だ。それをなくして、人間らしく、女性と向き合ってほしいと思っている。


男性の弱さはゆらぎを語れないことだ。
だから、苦しみを、他人への攻撃=甘えという形をとって現れる。その渇きは癒されることがない。なぜなら、攻撃された他人は、それを苦しみだととらえず、甘えだと察しても、甘えさせることはないし、自覚していない渇きは、いくら水を注いでも、満たされることがないからである。



男として、こうあらねばならない、という規範から、自由になりたい、という言葉を紡げないことこそが、男の弱さだと考える。


わたしたち女も、最初から、言葉が用意されて来たわけじゃない。長い間、いろいろな人たちが、試行錯誤して、笑われながら、攻撃されながら、中傷されながら、兵糧攻めされながら、紡いで来た歴史ある言葉である。



わたしたちはもちろん、男性に、その言葉を語るための言葉への援助を惜しみはしない。
わたしは、どんどん使ってほしいと思っている。

男性に開放されてほしい。
そうしたら、男性が抑圧され、女性が抑圧されるループがひとつ開くだろう。
男性が解放されることで、男性社会が崩壊する。
そして、女性が自由になる。
男性が、社会を支配している。男性が、社会と自分の男らしさから解放されるべきだ。
女性は、言葉でもって、その崩壊を支えるだろう。

わたしは弱くない。
だから、弱さをわからない。
わたしには強い言葉がある。黙っていられない。いつも自己主張する。だから、ひどい抑圧に悩まされることもないし、気質的に社会的圧力を認知できない。だから、わたしは社会的立場と身体的理由を除けば、やはり強いのだろう。言葉の力がある限り。


わたしは男社会の価値観を崩壊させ、男性を解放させるお手伝いがしたい。
男性がいかに弱いか、語ってほしい。
語るべき言葉がない男性は、語るべきストーリーを持っているはずだ。
わたしは言葉を差し出したい。
そして、語るべき男性の手伝いをして、背負うべきだった男性性を崩したい。
理屈は男のものじゃない。
人間のものだ。
男性は自分の感情を自由に表現していいのだ。
感情は女のものじゃない。
人間のものだ。



それが、HeForShe のひとつになりえるのじゃないかと、きっと思っている。