c71の一日

生活の記録

女の人の形を作る

あらまほしき、女の人の形を作りたい、という欲が見えるとうんざりする。

わたしは、そんなじゃないし、なれないし、なりたくもないし。
でも、「女の人はこういう風になりたいはず」と決めつけて、枠を作って、「さあ、この枠を通り抜けてごらんなさい。綺麗に、女の人の形になれるし、余分なものも取り除けますよ」と言いたい人はたくさんいる。それは、おせっかいという形だけじゃなくて、善意だったり、サービスとして出されたりする。そして、それをお金を出して買ってほしいと言われたりもする。



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わたしは、女の人の形を誰かが(それは組織だったり、会社だったり、国だったりする。でもその誰かの個人名が明確になることはほとんどない)作ること自体は仕方がないと思ってあきらめているが、それを拒めないことが嫌いだ。

まとわりついて来て、それを拒否するのも大人げない、「まさか、あなただけにそれを差し出していると思ってないよね?自意識過剰じゃないの?そういうのを求めているひともいるから、あるんだよ。他の人は何も疑問にも思わず、受け入れたり、スルーしたりしているよ?なぜ、あなただけがイライラするの?ちょっとおかしいんじゃない?」と言われているような気がするし、実際に言われることも、ある。


現実の世界ではそんなことを言う人と関わっていないから、言われることは少ないけれど、ネット上では、自分で選んだ人とだけ交流するわけじゃないから、言われる。

その、まとわりついてくるものが、どれだけいやなものかを言ったとしても、「その違和感はおかしい」とか「女全体に話を広げるのはおかしい」とか「女性が作ったサービスだから、男は関係ない」だとか言われるのだ。


狭苦しい形だ。


だから、わたしは女の人の形を作る、作ろうとする、イメージを差し出してくるものが嫌いだ。



そういうものは、実際に作った人が女の人だとしても、それが良いと思って意思決定したのは、たいていの場合、男の人だと、わたしは思っているし、女の人が良いと思って出したと思っても、それは、世の中の価値観を内面化したまま、作っているから、ほぼ男の人のイメージした「あらまほしき女の人の形」を求めたサービスになってると思う。


現実の女の人にはかなりのばらつきがある。
化粧が好きだったり嫌いだったり、関心がなかったり、甘いものが嫌いだったり、しょっぱいものが好きだったり、するめがおやつだったり、するし、理科と数学が得意だったり、政治経済が好きだったりする女の人はたくさんいるし、いるどころじゃないし、例えば、スイーツ特集していたって、地方に住んでいたら、東京のお店なんか紹介されたって関係がないし、それは女性だとか男性だとかも関係ない、東京中心主義だと思うし、そういうもやもやがある。そう、誰かが決めた、「中心」のイメージがあって、それにはなんにも根拠がないんだけど、そうじゃない人は不可視にされている感じが嫌いだ。それがサービスだしお金が一番採れる道だという意見があるかもしれないけど、そういうのでまとまれる時代は終わったと思う。
ようするに時代遅れなのだ。こんな言い方は滅多にしないけれど、世の中は良くなっているのに、古い、悪い、残滓を目にしたような気がして、気分が悪くなる。

周辺、周縁、縁の方にいるイメージ、がわたしには身近だけど、それは、自分がそうだからだ。そして、「はてな」がイメージする女の人像はそこにはない。


のけ者にされた感じがいやなんじゃなくて、わたしの場合は、「枠」を作って、そこをいやがらずに通り抜けて、余分なものをばたっと、落としていける人だけが「一般女性」とされている感じがいやだなと思う。大事なものを落としている。


何も抵抗感なしに、誰かに用意された、枠をくぐり抜けることができる人って少数だと思う。そして、それがえらいわけじゃない。その人がたまたま枠の形をしていただけだ。そして、その誰かの思惑にたまたま合致していただけだ。枠の形通りの人がいても、その人の意思として、枠を通りたくないって場合もあるはずだ。


だから、枠を用意する、って考え方自体が、もう、いらない。と、思う人がいるのは当たり前だと思う。
枠があったら、安心する、っていうひともいるだろうし、枠を用意すること=マーケティングってこともあるだろうから、ダメ、ってわけじゃないんだけど、それとは別に枠がいらない、って人がいて、当然だと思う。なのに、その考えはおかしいだとか、あなたのことは言っていない、とか、女の人向けって書いてあるからと言って、自分が含まれていると考えているのはおかしい、とか言う人は良くないと思う。尊重していないと思う。

女の人の形を作ることで安心する人はたくさんいるんだろうけれど、それがたくさんの問題を作り出していることも忘れてはいけない。個人の話だと生きづらさに結びつくし、人の生き方を正邪でジャッジすることが、やっていいことなのか、という問題もある。その問題に加担していることを反省した方が良い人は多いんじゃないかなと思う。


そして、大きな問題にも発展するから、この問題は根が深い。

あらまほしき「女の人の形」を作りたがる勢力には、反抗したい。