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c71の一日

生活の記録

自立は楽しいという話

誰かのためになることを考えていくと、自分のためにしていることと似てくる。


自分のことを一生懸命やっていくと、誰かのためになることと近づく。


わたしが自立していることは、誰かの手間を省くことだ。
わたしが自立して、だんだん余裕を持つと、誰かの手を煩わせることが少なくなる。そうすると、その誰かは、自分のことができるようになる。それぞれが自分の人生を歩めるようになる。
自分のために生きると、誰かの人生を奪って、自分の虚しさを生めなくてすむ。
自分が充実していると、その虚しさで、他人を攻撃しなくてすむ。


誰かのために何かするのは楽しい。だから、それは結局自分のためにするのと同じことだ。


だけど、それが悪い風に働きすぎると、誰かのために生きようとしすぎると、その誰かの人生を奪い取って、代わりに生きることを望むようになってしまう。そうすると、その誰かは、自分の人生を知らず知らずのように失って、でも、搾取側のことが「虚しいのだろうか、さみしいのだろうか」とかわいそうになって、離れられなくなってしまう。自立する力自体をもぎ取られてしまう。


それと似ていることで、誰かのためになることを、優しい気持ちですると、相手が喜んでくれると、ふわっと嬉しい気持ちになる。


そして、喜んでくれてありがたい、受け取ってくれてありがたい、させてもらってありがたい、という気持ちになる。
相手のできることを先取りして奪うことと、相手が喜んでくれるように手助けすることは、似ているようで少し違う。



さみしい気持ちは人を求める原動力になる。
不安定さは、考えるきっかけになる。
弱さは、労る優しさになる。
強さは、他人に干渉しない余裕になる。



だから、だめだ、と思われている性質は、外に出て行く原動力になると思う。だめな人ほど、外界と関わる必要がある。必要に迫られるべきだ。だから、弱さを隠すのは良くない。弱さをむき出しにして、自分で受け止めて、そして、外界と関わることが大切だ。そうすると、道が開けるように思う。


外界と関わるってことは、働くこととつながると思う。お金を稼ぐと、自分らしく生きやすくなる。


お金を稼いで自分らしく生きられるようになったわたしは、せっかくだから、いつでも、自分の立場だけでものを言うように気をつけたい。
誰かを代弁したり、誰かの代表になってものを言いそうになってしまうけれど、そうならないように、つまらない自分のままで、いつでもものを話したい。



卑屈さを捨てると、できることが増える。
できないと不安になっていると脳の稼働域が圧迫されて、実際の能力よりも、活用できる能力が減ってしまうように思う。
できないことと、できることを区別することは知性だ。
できないことで悩むよりも、できることをやった方が良い。その切り替えのバランスと、できないことに対しての不安を捨てることが、自分の能力を伸ばすことになると思う。


頭も体も心も、生きているうちに使わないと、使えなくなってしまう。
わたしは他人との関わりは少なくていいと思っている。
関わりがなくても、考えることはたくさんあって、楽しい。


鬱のときには関わりたかったし、焦っていた。
このままじゃだめだ、自分の価値なんてない、他の人はどんどん、すすんでいっていて、置いていかれてしまう、と思っていた。


今は、このままで良い、価値がないとしてもかまわない、他の人においていかれてもここに居場所があると思う。出世したい、有名になりたい、という気持ちがないわけじゃないけれど、そうならなくても、今、この瞬間が穏やかだったらそれで嬉しい、幸せだ、と思えるようになった。
それは、今までずっと考えて来たから思えることだと思う。



つらいことは少ない方が良い、苦しいことも少ない方が良いと思う。


わたしは苦手なことから逃げることが、ダメだ、という価値観から逃げて、得意なことばかりするようになって人生がどんどん楽になった。
障害も性質も性格も何も変わっていないと思うけれど、場所を変えることで、ずいぶん楽になった。世の中への役に立ち方一つとっても、だいぶ向上した。


一度目の就職をするときずいぶん嘘をついた。大きな企業もたくさん受けた。落ちたときは悲しかった。自分が否定されたみたいだった。
でも、働く場所が得られて、働き始めて、二回目の就職をして、ちょっとだけ嘘をついたけれど、でも、それは悪い嘘じゃなかった。
相手を安心させるための嘘だから、自分も納得できた。働き始めてからはほとんど嘘をつかないで暮らしていられる。


職場の人も良い人が多くて、いやな人もいるけれど、自分の居場所だと感じられて、つらいこともあるけれど、普通レベルのつらさだから、乗り越えられるようになって、とても嬉しいなと思う。

仕事がいやだなあ、と思うこともあるけれど、そして、地味な仕事で、華やかじゃないけれど、楽しいし、やりがいもある。
だから、生きていると良いことがあるって信じられなかったし、自分で、良いことを見つけないと、と言われると殺してやろうかとしか思えなかったけれど、失敗し続けて良かったなあと思う。



仕事は誰かのためになるものじゃなくて良いなあと思う。自分のためになるもので十分だ。
生きている分稼げたらそれで良い。無理すると、続かない。
続くことが大切だ。
そりゃあ、わたしだって、海外研修があるような華やかな仕事に就きたかった気持ちもあるけれど、そうじゃないんだから、仕方がない。多分、そういう世界では、わたしは挫折していたと思う。



自分で「こうあらねばならない」と決めつけるほど、仕事選びは難しくなる。
わたしの場合は正社員じゃなくても良いし、毎日働かなくても良いし、立派な仕事じゃなくても良いと開き直ったら、一日ちょっと働くだけで食べていける仕事に就けた。これはラッキーだなあと思う。
わたしのとりえは頭の良さだけど、外資系で働くには体力がないし、医者になるには、病気がありすぎる。協調性もない。雰囲気も読めないし、社交性も少ない。動作性の能力にも欠ける。理由はないのに疲れやすい。


だから、一日少し働くだけで生きていける仕事に就けて良かったなあと思う。


昔は自分で稼ぐことの意味が分からなかったけれど、今はわかる。
自分で稼ぐと、自分のペースで生活ができる。他の人に何か言われることが少なくなって、感情が無用に波立たない。
だから、穏やかな気持ちで暮らせる。苦痛が減らせる。
お金があると楽しい。
無駄遣いする、っていうのもやってみたけれど、それは本質じゃない。
自分で、自分を生きる、ってことが、できるようになる。
それが、お金の本質だ。生きるための手段としてのお金の本質だ。
自立は、苦痛を減らして、楽しみを増やすことの、過程だ。

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