c71の一日

生活の記録

わたしはおかあさんを愛していた

抑圧はエネルギーを使います。


おかあさんの殺意を感じてはいけないと思っていたわたしは、それを感じることにしました。

そうしたら、からだがふにゃふにゃになりました。
肩こりも、腰痛も、完全になくなったわけじゃないのですが、楽になりました。
凝りそうだな、とか、力が入ってるな、と思うと瞬間的にリラックスできます。痛みのことを思うこと自体で肩の力が抜けるのです。抜こうと思ってないのだけど、痛みを感じるだけにとどめて、催眠状態に近い感じを思い出すとできます。
恐怖がなくなったのです。
わたしは強い恐怖の中に生きていたのだなあとわかりました。
だから、いつも、身構えていて、恐ろしいことが起きても対処できるようにしていたかったのだなあと思います。
自分が健気です。



この感じを忘れないようにしようと思います。


わたしは、生きていることにすごくエネルギーを使っていたから、疲れやすかったんだなあと思います。


意識の水面下で、常に、「おかあさんが憎い」「おかあさんを許さないと」「おかあさんが怖い」「おかあさんが怖いわけがない」という戦いが繰り広げられていたため、疲れやすかったんだなあと思います。そういう気持ちでいたから、現実に対処できる余力が残っていなかった、というわけです。



事務の仕事、やろうと思います。


迷っているけれど、後押ししてほしいだけで、人に相談していたような気がします。
わたしには可能性があります。


わたしはもう自分を守る必要がないからです。誰かに守ってもらう必要もありません。
わたしは安全です。
何も恐ろしいことはありません。
死ぬときは死ねば良いと思います。
死ぬんだなと思います。


だから、より良く、チャレンジしながら生きられると思います。
わたしは事務の仕事を通して、自分の苦手なことをしたい、克服して、恐怖から解き放たれたいと思います。
事務の仕事は何かの恐怖の象徴だから、やることに意義があります。


わたしはいつもだるくて疲れていて、すぐにアレルギーの症状が出ます。頭痛もするし肩こりも腰痛もあります。眠くて、悲観的です。


だけど、最近、力が湧いてきました。起きていられる時間が増え、家事も積極的にできるときがあります。
それは、仕事がうまくいって、自分で稼いでいるため、生きている感じがあるからだと思います。


母と暮らしているときには、生きている感じがありませんでした。だから、死にたかったです。生きるパワーを吸い取られていたのだと思います。世話をされる、というのは楽なようで、依存と、自立がせめぎあうので、エネルギーを使い、疲れます。


依存していたままの方が楽です。表面上、争いがないからです。母はわたしの世話が楽しかったのだと思います。わたしの人生を代わりに生きられたからです。
母はそれでいて、わたしのことを憎かったと思います。わたしの世話で、人生が奪われたように感じたからだと思います。


彼女はわたしを捨てる機会が何度もあり、捨てることをほのめかしながら捨てませんでした。


わたしは、彼女を憎み、愛し、無関心を装い、激情と無感動の狭間で揺れ動いていました。殺したいほど憎かった、愛したかった、愛されたかった、気持ちが強かったです。わたしは、その気持ちだけでいっぱいだったです。そういう意味では、わたしは自分の人生を生きておらず、母のために人生を送っていました。わたしの人生は、わたしの認識下で、母のものでした。わたしの感情のすべてが母に捧げられていたからです。


わたしは子どもでした。だから、母を愛していました。母を愛することで生き延びようとしていました。子どもは、愛の生き物です。親は子どもを愛さなくても生きていける生き物です。

だから、わたしは母の愛が重い、と思っていましたが、そうじゃなくて、母の愛のなさが重かったのだと思います。愛していたのに、愛されなかったことが、苦しくて、だから、憎んだのだと思います。


わたしは、そのことに気づいて、心が平たいです。静かです。わたしは彼女を愛していた、だから、愛されなかったことが悲しかった、悲しみを感じることには耐えられず、それが理解できたら生きていけないほどつらかったので、その気持ちを怒りや憎しみに変換していた、わたしは本当は愛していたんだ、と思いました。


わたしは今は大人で、彼女の愛がなくても生きていけます。
わたしは彼女の愛がもう必要ありません。
わたしは、彼女を愛さなくても、愛していても、どちらでも生きていけます。


愛していたことがわかったから、わたしは彼女を捨てられます。