c71の一日

生活の記録

わたしは一人だ。これからも一人だ。

昨日いろいろ考えていて、わたしは、死にたいと願っていた十代二十代のころでさえも、誰かに、「生きて良いよ」と言われたかったことなんて一度もないと気がついた。

それは、わたしの素晴らしさだし、強さだ。誰かに生きていいよなんて言われなくてよかった。憤死して寿命が縮まるか、その人を殺さないのなら、依存してしまっただろう。


わたしは生きる理由を探していた。死ぬ日を一日ずつ伸ばしていた。いつでも死ぬ場所を探していた、京都の三十三間堂に行ったら、突然死のう、と思い立って、でも死にたくないと精神科の先生に電話をしたわたしである。


なぜ、死にたいのに死にたくなかったのか。


いつでも死んでも良かった。今でも死んでいいと思っている。死ぬなあ、とときどき思っても、死ぬことがたいしたこととも思えない。死にそうになると、たいていびっくりして、あまり死ぬことを怖がることもなかった。



わたしは失敗すると、すぐだめだ、死にたい、ってなった。
それは、今思うと、失敗=だめな自分と言う判断をしていたから、失敗するようなダメな自分をこの世から消し去りたいと思っていた。


それは自己評価が低いからである。

でも、わたしは誰かに認められたいと思ったことは全然ないんだなと思った。
承認欲求は普通にあるけれども、それとは別に、生きて良いと誰かに認められたいとは思えなかった。



死にたかったから。
認められるくらいで死ぬのが我慢できるようになるんだったら、死にたくなってないや。


わたしは自分の意思で死にたかった。それが気分のせいだとしても、わたしは過去の死にたかった気分を尊重したい。
死にたいと思う自分をダメだと思うから、より、苦しくなっていた。わたしは自分が失敗してはいけないと思っているとき、もっとも死にたかった。
わたしは失敗しない。失敗したらダメだ、と思うとき怖かった。



死にたいは死にたいだ。それ以下でもそれ以上でもない。誰かに死んで良いよと認められて死ぬとか、生きて良いよと言われるとか、まっぴらごめんだ。


わたしはいつだって、勝手に死ぬし生きるし、死ぬのはわたしの意思じゃなく訪れる目算が高いけれど、わたしは人から言われて死んだりしないし、人から言われて生きたりしない。


だいたい、人に生きて良いよと言われて生きるなんて意味が薄すぎる。他人なんてどうだっていい。死んだら他人だって自分の世界から消える。そもそもだから、死にたかったんじゃないのか。



自分なりにルールを学ぶなんてめんどくさいことはしない。
生きて良いよと認められたくなんてない。
「感じ方が違うだけで、あなたは悪くない」なんて他人に言われたくない。
あなたは悪くないとか、どの尺度で言えるの?神様なの、あなたは、って思っちゃう。
わたしは生きている神様はいらない。人間の神様はいらない。
わたしはそんなことでは救われない。だって、そんなの幻想でしょ?何を根拠に悪くないなんて言えるの?わたしは悪くて良い。感じ方が違うだけっていっても、それは大きいでしょう。気持ち悪いでしょう。そういう幻想を信じ合える仲間じゃないんだから、いやでしょう。本音を言いなよ。
わたしが悪いでいいです。わたしはそれを引き受けます。わたしはダメでいやなやつで、だからこそ許可がいらない。


わたしは、鬱状態が何年も続いて、ようやくそうでなくなった。
小学生の頃から、解離があり、性暴力や暴行を何度も受け、なんども死にかけた。
PTSDもフラッシュバックもあった。いつも不安だった。
実母とも折り合いが悪く、会うとじんましんが出る。
わたしは育てにくい子どもだっただろう。でも、母だって、子育てに向いていない母だった。
わたしたちは、お互い相性の悪い組み合わせだったのだ。
だから、わたしはいくつかのことで母に感謝し、いくつかのことで怒っている。
彼女はそれを理解しないだろうから、距離を保っている。


素晴らしい母でなくても、子どもは、育つことができるし、成人してからも療育は受けられる。

わたしの障害は一生続くものと言うことは、逆に言うと、わたしは一生成長の過程にあるということ。適応できる可能性がずっとある、生きている限り、より良く生きる可能性をわたしは持っている。

親御さんの育て方がどうでも、子どもには幸せになるチャンスがあるのだから、親御さんにはあまり苦しまないでほしい。間違っていようと間違っていまいと、命があって、運が良ければ生きているのだし、運が悪ければ死ぬ。死んだら苦しみがなくなるし、生きていれば希望がある。


わたしはトラブルが多く、失業し、入院した。そのときは社会復帰はもう無理なのかもしれないと思った。
わたしの主治医は、「自閉症スペクトラムの人にもいろいろいるから、人生はわからない。やりたいことを失敗しても良いからやりなさい。自閉症スペクトラムだからと言ってできないことがあると考えなくても良い。やりたいことをやっているうちに、向き不向きがわかるだろうから。あなたにはそういう力がある」と言って告知した。

自閉症スペクトラムがあろうとなかろうと、診断が就こうと就くなかろうとわたしはわたし。
でも、最初から、トラブルが起きるのはわかってから、飛び込むのと、失敗してはいけないと思って飛び込むのとでは気持ちが違った。回復の早さが違った。
わたしは脳の違いがあって良かったと思っている。
わたしは生まれたときから完成されている。
それは善かれ悪かれ他人に影響されない、と言うことだ。
マイノリティである部分があって良かったと思っている。
それは、わたしが本来、傲慢な人間で思いやりがないから。
人生の幸福を計る尺度が少ないと貧しい人間になる。貧しい人間は逆境に弱い。精神の豊かさは、強さになる。それは、単にポジティブで前向き、楽観的、というわけじゃなくて、いろんな尺度を知っていることが、自分のあるがままを受け入れる可能性を秘めているからだ。
だから、わたしは精神病で良かった。
わたしは、苦しみの代価を払った。これからは人生から取り立てようと思っている。


わたしの生きにくさが脳のせいだとわかったとき、非常に痛快な思いをした。
わたしはダメな人間だろうと、いやなやつだろうと、どうでもいい。わたしは勝手に生きる、と思った。わたしのいやなやつの部分は、病気とは一切関係がない。わたしは単にいやなやつだ。それでいいんだ。それは素晴らしいことだ。失敗して良い。ダメな人間だから。
わたし自身がいやなやつなだなんて。とても良いことだ。わたしがダメであろうとなかろうと、わたしだ。それが素晴らしいことだ。わたしがダメな部分を作りたいと思ってそうなったわけじゃないから。
わたしは自分に「欠陥」があるなんて思ったことは一度もない。
できないことはたくさんある。苦手なことも不得意なことも能力のないこともたくさんある。でも、客観的に見て、それは誰にでもあることでしょ。


わたしはバカなのかなとか、人付き合いができないな、とか思ったこともたくさんある。でもそれはいつもある程度具体的だった。
だから、診断後は、わたしはもう人付き合いしなくて良い、わたしはバカで良い、だってある面では非常に優れているけれども、ある点では非常にバカだとはっきりした。テストはあるひとつの尺度でしかないとも言われた。わたしは可能性に満ちているのだとわかった。
わたしはバカだ。それは非常に素晴らしいことだ。わたしは頭の良い人間にならなくても良い。一生ならなくても良い、それは解放だった。
なりたかったら、なるように努力しても良いけれど、もう、人付き合いもしなくていい、引きこもってネットするのが幸せで、テレビを一切見たくないなら、それで良い。周りの人みたいに振る舞うのなんて、もともとしていなかったけれど、罪悪感がさっぱり消えた。



許可なんて求めたことない。そもそも、誰も、わたしに許可を求めたことはない。だから、わたしだって許可を求めやしない。

わたしは勝手に生きる。
わたしは一人だ。これからも一人だ。