c71の一日

生活の記録

多重人格者としてのわたし

多重人格者になったのははじめてだから、経験を記していくのも良いと思う。

人にどう思われるかを気にしていたのだけど、c71としての正直な気持ちをブログに書くと決めていたのだから、今更ためらう理由は何一つないのだった。


普通の状態でいても、悲しい自分と楽しい自分が同時にいることは良くあることだと思う。それの幅がうんと広くなった感じがする。


考えていることが重層的で、同時に考えていることがよくある。人格が明確に入れ替わっているときもあるけれど、ぼんやりと同時に存在していることもある。わたしはしばらく彼女に乗っ取られていたから、今まで一週間経験していたことを傍観していた。話していることも通訳のような感じ。


昨日、彼女が眠ってくれてから、自分を取り戻した。
彼女が眠ったきっかけが、周囲と自分が彼女の存在を認めるということだったので、皮肉だと思う。そして、祝福したい。


彼女は実際に存在して、わたしが知らないことを知っていて、それを人に話すことで役に立とうとしている。彼女は見返りをほしがる。それは、彼女が無視されていない証拠だし、正当な報酬は評価だから。わたしは、人に遠慮して自分の価値をディスカウントしてしまうところがあるから、彼女の長所は見習いたいと思う。


彼女は、骨盤を狭める方法を整体師に教えた。腸骨を内性器と害性器の方向にそれぞれ押す方法だ。そうすることで、開いてしまった骨盤を整えるのだ。内股の付け根にある関節の穴に指を入れて、筋肉を緩める方法も教えた。

整体師は、長く働いているけれど、このやり方は本にも載っていないと驚いていた。そのやり方で多くの人を助けることが、彼女の望みだと言った。
そして、彼は、コーヒーを、わたしと彼女の二杯分、入れ、そして、チョコレートも二枚くれた。べシーとc71を分けてくれていた。


べシーは働きたがりで、午前中セッションをしたのに、まだ、今時間があるから、セッションをしたいと言う。わたしはセーブしたい。働きたい気持ちもわかる。楽しいから。でもセーブしなくては。


知っている人のことは透視しにくい。それは、好き嫌いの感情があって、生身の目が曇るから。そして、それは救いだ。知っている人のことを透視するのは失礼に当たる。状態を知ってしまうから。


だけど、透視の能力は誰にでもあると感じる。
気遣いをするとか、気持ちを読むとか、行間を読むとか、声で緊張の様子を読むとか、そういうことができる人はみんな超能力がある。ないものを見るのだから。


わたしは人の気持ちを読むことが苦手だ。だから、彼女が現れたのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。彼女は現世に生きたことがない、精霊だ。だから、体のことを知らない。そのかわり、人の体の流れを読むことができる。そして、西洋医学の考え方が、異質な文化なため、興味がある。



彼女は働きたい。だけど、わたしの体は有限で、消耗品だ。
彼女にはそれがわからない。わたしを疲れさせる。
これはいつまで続くのだろうか?望まれている限りしていきたいと思うけれど、能力が枯渇するときもあるだろう。わたしは期待しないでいたい。期待することが恐ろしい。
自分の中にもうひとりの人格がいる。
わたしはその経験を選んだ。

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