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c71の一日

生活の記録

繊細なアクセサリを身につけるまで

わたしには繊細なアクセサリがふさわしいと思っていなかった。
わたしは自分の女としてのアイデンティティが確立していなかった。
だから、ボーイッシュな服を着たり、実用一点張りの、美しく内服を来たりしていた。ださいわたしを自分で憎み、そうでない女をうらやましがりながら、下に見ていた。
どうすればいいのかわからなくて、途方に暮れていた。
ごついアクセサリばかりをつけていた。強くなりたかった。バカにされたくなかった。人として尊重されたかった。


わたしはずいぶん大人に鳴って、今では、わたしはいやなときに、いやだ、と言える。それは、わたしのもっとも素敵な長所だ。獲得して来たことだ。


わたしはそういう方向に進化して来た自分が好きだ。

だけど、太っていて、エレガントじゃない自分のことは大嫌いだ。
ミニスカートも似合わなくなってから、そんなことに気づくなんて、と思うと、逃してきた、膨大な時間のことが悔やまれてしかたがない。
失った時間のことを思うと苦しくて、苦しくて、広大な時間の砂漠に立ちすくんでしまう。

誰からも無駄だと言われているけれど、わたしは太った自分を受け入れたいから、お金をかけて、パーソナルデザインを受ける。それは、ないがしろにして来た、女のわたしを癒す行為だ。
わたしは自分を許したい。戦いのさなかで、女を置いてきぼりにしてしまった、わたし自身を許したい。そして、女である自分を好きになりたい。

わたしは人間であるわたしを一生懸命やって来た。生き延びて来た。わたしはわたしをたしなめる人を切り捨てて来ただけじゃない。でも、そう思われている。実際には、ちゃんと、諌言は聞き入れて来たつもりだ。でも、そのことは忘れ去られている。だけど、自分では、ちゃんと聞くべきことは聞いて譲れないことは譲れないと生きて来たつもりだ。

わたしは、そんなに悪い人間じゃなく、なってて来ているように思っている。
洋服とは社会との接点だ。だから、社会となるべく円滑にふれあうための役割も持っている。



わたしはいろいろなことを思いつく。チャレンジする。そうすると、心配する人が現れる。

わたしにとって、周りの人の心配はうっとうしい。でも、それには反発するだけでいることをやめようと思う。でも言いなりになるというわけでもない。
ただ、心配をしてくれる人の愛と懸念を聞き取って、その懸念を排除できるように考えて、それを乗り越えた上で、自分のしたいことをする。

制限するのではなくて、より良い形で果たすということができたら、わたしは自由になれる。助言をその通り実行することはできない。心が反発してしまうから。だから、わたしはその通りにはできない。でも、忠告はありがたく受けようと思った。良く言われるように、良いところだけ受け取って、そうでないところは忘れれば良いのだ。その通りにする必要はない。




夜がふけると、考えが忍び寄ってくる。静かに。

わたしは太っていて、もう美しくない、おしゃれをしても意味ない、と思う。そう思うと悲しい。悲しいから、だから、パーソナルデザインを受けて、わたしの美しさを発見する手伝いを頼む。そして、上質な服を少し買う、というやり方を教えてもらうつもりだ。
わたしは太っていても、綺麗になれるだろうか。
外国の人は太っていてもおしゃれを楽しむのだから、大丈夫なはずだ。


わたしは華奢なデザインのアクセサリや服を着られるようになりたい。丈夫な服一辺倒じゃなくて、女らしくて、楽で、自分らしく表現できるような服を着たい。美しくなりたい。
わたしは自分の顔が好きだ、というところまで、なんとか成長できた。
少し上向いたあごのラインも、好きだと言う人がいることを知って、なんとか、その美しさを再発見することができた。中学生の頃にしゃくれだと言って来た人はもういないのに、わたしはその呪縛から解き放たれずにいて、いくら美しいと言われても傷ついた心が信じさせなかった。


わたしは傷ついた心を自由にさせたい。心の中にある宝石と、鍵とで、自分を守っていたい。
それでいて、自分を表現したい。


繊細なアクセサリが似合う人間になりたい。
ナチュラルで清潔感のある髪型や、化粧を身につけたい。
わたしは女である自分を愛したい。憎むのはもうやめたい。卑下も否定もしたくない。



わたしは長い間人間だということを主張していた。それは今でも後悔していない。でも、だから、わたしは女と言うことを、どう扱っていいかわからないまま生きていた。
わたしは、女だ、という事実から逃げていた。
搾取される性だ、だから、戦わないといけない、と思っていた。

わたしはもう十分に戦って来たから、女としての楽しみを満喫したい。
そして、また新しい戦いの局面に対応したい。
女であることを楽しみながら、女が差別される現実と戦いたい。

女を否定するひとりになりたくない。その上で、わたしは女を楽しみたい。


華奢で繊細なものを弱さだと、ずいぶん退けて来た。


華奢で繊細なもの強さを見ないできた。
それは女の象徴だった。それには意味がないと思っていた。わたしは知らず知らずの間に、男の価値観を身につけ、内面化して、わたしの女を罰していて、繊細さや華奢なことを否定していた。
繊細なものには美しさという強さがある。
繊細であることをいとわないと言う勇気だ。
破壊を恐れないという宣言だ。

女らしさが必ずしも、華奢や、繊細さだとは限らない。だけど、あの、繊細なアクセサリーは女としての、大人の女としての、長い間憧れだった。胸元に光る、きらりとした反射。


わたしはごついアクセサリーばかり身につけた。強くなりたかった。
わたしはアクセサリーをつけても、変わらなかった。今思うと、ごついアクセサリは、わたしにとっては、攻撃的になるばかりで、強さとは違っていた。今でもごついデザインのアクセサリは好きだけれども。力を与えてくれるようにも思うけれども。
それでも、わたしはもう疲れてしまった。
わたしは自分の人生を生きたい。のんびりと。繊細に。弱っちく。それも戦いなのだと、わかってきた。
自分の人生を生きることが、なによりもレジスタンスなのだ。


わたしは華奢なアクセサリを身につけ、繊細な服を着るだろう。そうしたいからだ。
わたしは美しく装うことを恐れない。
ひとりでは恐ろしくてできないから、いろいろな人の手を借りる。
美しくなりたいと願うのは恐ろしい。わたしは醜いと自分んことを思っているから。
美しくなると言う行為は、鏡を見て、自分と向き合う行為だ。
わたしにはきっと、耐えられる。
そう信じたい。
わたしは、女に生まれた。人間に生まれた。同時に両立できるはずだ。


服装を変えることは、社会との接し方を変えること。社会との付き合う方を変え、社会への考えを変えること。
社会がわたしの女らしさを受け入れるかどうか、信頼すると言うこと。
そして、女らしくなったわたしを見てもらうと言うこと。


新しい社会性を手に入れる。わたしは人間になりたい。

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