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c71の一日

生活の記録

自閉症スペクトラム的側面から見たわたしの時代 #啓発記事コラボ #世界自閉症啓発デー

わたしはあまり自閉症スペクトラムについて詳しくありません。
でも、書いてみようと思います。


nanaio.hatenablog.com


母によると、とても育てにくい子どもだったらしいです。わたしとはいえば、小さい頃は目の中に映る丸いビーズのような光を見て遊ぶのが好きな子どもでした。色とりどりな光が見えました。
寝る前には大きな丸いさまざまな灰色の物体が体を押しつぶすという夢を見ると良く眠れました。
ぬいぐるみを置く順番にこだわりがあり、並べ替えるのに一時間も二時間もかけました。


言葉が出るのが遅かったそうです。そして、しゃべるようになると一方的にひたすら話す、という奇行が目立つようになります。
間が読めないし、相手の気持ちがわからないので、言葉で補おうとしていたのでしょう。


小学校はいじめられました。けれど、勉強を厳しくし込まれたので、居場所がなくなるということもありませんでした。一人でも平気でした。本が好きで、苦痛な現実よりも本の世界が好きでした。本を読みながら歩くせいで何時間もかけて帰っていました。


日記に詩を毎日書いて、学校に提出してたところ、「いつまで続けるの?」と聞かれて、やめました。
文章を書くのは好きで、いつもノートのはじっこに何か書いていました。
だれかと会話するよりも、本を読む方が好きでした。過去の人と話すことができるのと同じだし、本は生きているような気がしていました。閉じているときには何か知らない物語がおきているようで。


学校でかんしゃくを起こして暴れた記憶があります。女の子からは距離を置かれ、男の子からは殴られていたので、殴り返していました。身体的ないじめは、腕力が強かったため、あまりなかったのですが、靴を捨てられることはよくありました。遊びの仲間にも入れてもらえないことも多かったのですが、高学年の先生が良い先生で、状況は変わりました。ユニークなアイディアを持つ人が尊敬される、という風潮を作ってくれたので考えることが好きなわたしはみんなの仲間に入ることができました。
演劇の脚本を書いたり、歌を作ったり、踊りを作ったりして披露したり、公式の証明の仕方や、新しい計算の仕方をみんなで発表し合ったりしてとても楽しかったです。この頃、わたしは同世代の人と会話することを覚えました。それ以前は、だれかと会話することは非常に少なかったか、優しい子にすがっていたのだと思います。


強く言いたいのは、勉強がわたしを救ったと言うことです。
高学年のときや、中学生の頃にはクラス委員長にも推薦されたり、委員長をやるように言われたので、学校での一定の地位は保てました。そういう役職は大変ですが、学校での居場所を作るのには有効ですし、協調性がない、ということで、減点されがちな内申点を、そういう役職で補うことができました。そういう役職に就けたのは、結局、勉強ができたことと、まじめな性格だったからだと思います。


不良になることを心配されていましたが、まったく興味はありませんでした。ただ、善悪についての価値観が弱く、知らないことに関しては流されやすかったと思います。しかし、だめだ、通し得られたことはほとんどやりませんでした。理由を知りたがりました。



わたしはとにかく法則が好きで、小学生の頃から、法律の本や、神話の本、医療の本などを読んでいました。体の仕組みや世の中の仕組みを知りたかったのです。また、道徳がどこから来るのかが謎だったり、人の心が知りたかったので、心理学や精神医療の本や神話の本を読みました。小説も明治から昭和にかけて、全集に載っているような人はほとんど読んだと思います。



わたしが身につけている教養は小学生時代に吸収したものが土台になっていて、その頃のものが一番量と質とともに、多いと思います。今でも、わたしが専門書を分野が違っても怖がらずに読めるのは、何も区別せず、本を読んでいた時代があったからだと思います。



中学時代は、きついとしか言いようがない時代でした。
やらなくてもできるのに、強制されて勉強をしろと言われ、成績が良くても喜んで上を目指さなくなるのはいけないと言われたとき、感情を制限されたと思います。
乱暴になり、学校と言うものにがっかりしました。友だちはできました。つらすぎてあまり記憶を思い出したくないのでこのくらいにします。


高校では、少し崩れました。比較的仲の良い友だちができました。乱暴な人がいなかったので、のびのび過ごしました。勉強がいやになっていたり、ストレスが多くて、精神的に失調して、あまり勉強ができなくなり、幻聴が起き、死にたいと常に思っていました。



大学では勉強に没頭しました。よく、大学は遊ぶところ、という言葉を聞きますが、そういう実感がわきません。わたしはとにかく勉強ばかりしていました。
就職活動は意味が分からなくて、しませんでした。
どうしてみんなが就職活動をしているのか、真剣にわからなかったのです。


今思うとそこが、一番自閉症スペクトラムらしいところです。
それまでは、学校を出て行けば良かったのですが、そうじゃなくて、自分で生きていていかないといけない、というのがそもそも認識できなかったのです。


わたしの生きにくさは、感覚過敏もありますが、それ以上に、世の中の風習だったり、人生設計だったり、そういうものに対して、実感が持てなかったところにあります。段階を追って成長していく、ということがよくわからないのです。


子どものころも、困っていました。
大人になってからも、困っていました。


人生で楽しいことなんて、ない、苦痛ばっかりだ、と毎日思っていました。
毎日、毎時間、毎分思っていました。
苦痛を堪えるだけの人生でした。


思っていること、やりたいことを制限されるばかりだと感じていました。
わたしはこれからも、あまり制限されずに生きていきたいので、極力、誰とも関わらずにひっそりと生きていきたいです。関わる人が多ければ多いほど「忠告」をされてしまい、それはわたしにとって、非常に苦痛だからです。心を引き裂かれるような気がします。言葉がわたしの心に突き刺さるのです。


これは、勝手な考えだと思いますし、感じ方だと思います。だから、わたしは周りを変えられるとは思っていません。せめて、ひっそりと、暮らしていきたいと思います。でも、そう願うこと自体が、「まわりにそっとしておいてほしいと願う」ことなので、他人の助力が必要です。



困っているときには公的機関の力を借ります。それは、肉親よりも付き合いやすいと感じています。肉親はひどいことも言うし優しいことも言います。わたしにはそれが耐えられないのです。何を言いだすのか、予測できないのが非常につらいし、言うことを聞かないといけないと思うことがストレスだからです。肉親には愛があり、よかれと思って、口を出します。だから、わたしは苦手です。
だから、肉親とはなるべく距離を持って、そのために、距離を持つために、それを可能にするために、自活できるだけの仕事をもって、働いて、過ごしていきたいと思っているのが、願いです。



わたしは、だんだん、人間との関わりを持たずに生きる道を選んでいるようです。
人付き合いが少なく生きている方が楽です。わたしは公的機関の支援を受けます。契約と契約のやり取りは安心できます。踏み込まれず、怒られないというのはとても安心します。
会話するときには、安心できる、ネット上の人と会話します。わたしにはそれで十分です。それが他の人から見て、異様だと思われようと、わたしにはそれが安心です。


自閉症スペクトラムの人同士で話すときには共感ベースの会話です。だから、自閉症スペクトラムだからといって、共感することができない、というのは誤りだろうと思います。



わたしが言いたいのは、自閉症スペクトラムの人を見ても、蔑んだり、バカにしたり、いじめたりしないでほしいと言うことです。
自閉症スペクトラムのわたしは、自分の評価だと、ユニークで、面白く、頭の良い人です。
人間に言われることを受け流すのが苦手で、何日も考えて落ち込んでしまったり、生活力がないせいで、あぶなっかしい生活をしたりしていますが、それでも死ね、と言われるほどではないのではないかと思っています。



義務教育を終えてからは殴られることも減りました。
大人になって良いことは、自分で稼いで、自分の住むところを好きなようにでき、好きなように支援を受けられることです。今の支援も、肉親には反対されましたが、わたしは自分が思うようにして良かったと思っています。自閉症スペクトラムの人に言いたいことは、自分の思う通りにするべきだ、そのほうが楽になれるということです。自閉症スペクトラムの人の周りにいる人については、当人の訴えを信じてほしいと言うことです。


もしも、仮に家事援助が必要だと言ったら、その人には必要なのです。がんばってがんばって、やっと言った言葉なのです。それなのに「もう少し頑張ってみたら?ネットとか本にもやり方が載っているし」とは言わないでほしいのです。その人はもう、無理なのです。できないのです。休息が必要です。怠けじゃないです。あとでやめることもできるのだから、援助や、医者にかかることを阻まないでください。もし、そう言われてしまったら、自閉症スペクトラムの人はその言葉を信じます。一切変えられない現実だと受け取り、絶望します。軽い気持ちで忠告した言葉なのかもしれない。ということは、全く浮かばず、反対された、もうだめだ、死のう、くらいに思う人がいると言うことです。



わたしは家事援助を受けたいと言ったときに、まずは自分でやりなさいと言われ、本やネットを参考にしなさい、ネットとか得意でしょ、調べるのも好きでしょ、といわれました。わたしは死のうと思って主治医にそういいましたが、主治医はまだ死ぬのは早いと言いました。



わたしには二時障害があって、すぐ死にたくなるのです。
脅したいわけでは毛頭ないのですが、すぐ死にたくなります。自己を確立するためにはひとりでいる時間が必要で、受け流すことができるほどまだ強くないので、強い言葉でいやだ、ということしかできません。



わたしはようやくひとりで暮らせるようになって、本当によかったです。
これからも人の干渉されないように、干渉しないように生きていきたいです。それがさみしいと言う人もいると思います。でも、わたしの能力ではこれが精一杯です。



わたしは自分が自分で稼いで生きていけるということが、今一番嬉しいことです。

追記


わたしが傷つけている人もたくさんいます。
わたしは、自分らしく生きたいです。でも、そうすると、人のことを傷つけます。


わたしはどうして、こんな隘路に入ってしまったのでしょうか?自分らしく生きることが他の人を傷つけるようにならないよう、お互いを理解できるようにしたいと思います。
わたしも理解をできるように時間をかけて慣れたら良いと思います。


わたしがわたしであることで、他人に迷惑をかけて、傷つける、ということは恐ろしいことです。
わたしは忠告を侵略に感じます。自分の中に入ってくるようなイメージがわきます。わたしは言い返します。ブログにも書きます。だから、ひどい人間です。
でも、そのひどい人間だ、ということだけじゃなく、わたしにも良い面があって、生きていて良いのだ、と言うことを示すために、生きていたいと思います。


これから新しく生きる人たちにとって、もっと生きやすい世の中になることがわたしの望みです。わたしはその人たちに嫉妬をして、胸が苦しいのですが、それとは別に、幸せに生きる人の人数が増えてくれるといいなと思います。