c71の一日

生活の記録

満ち足りたわたしの空洞

感想を書きます。感想というか、関連した話、だと良いのだけれど。書いているうちにずいぶんテーマがかけ離れてしまいました。

fuhouse.hatenablog.com





わたしの母は、わたしを進学校に入れることにこだわった。
彼女は短大を出ていた。
本当は四大を卒業したかったのだと、ぽつんと言ったことがある。


彼女は農村で育ち、彼女の同級生の中で、大学に行ったのは、彼女と、校長先生の子どもだけだったそうだ。


彼女は、東京に出て、何年か働き、そして、嫁いだ。地方都市へと。
彼女の生まれ育った土地よりもずっと都会で、でも、東京よりもずっとずっとずっと田舎。


彼女は住む場所を決めた。進学率が一番高い高校の近くに住むと決めた。
だから、わたしは、生まれたときからその高校に行くことが決まっていた(当時は私立中学がなかった)。
田舎では、高校の選択肢が少ない。東京の大学に行こうと思えば、医学部に入ろうと思えば、東大に入ろうと思えば(どちらにも入らなかったが)、その高校に入るしかほとんど選択肢はなかった。

徒歩圏内に、そういう高校があるように、わたしはお膳立てされていた。
環境に恵まれるように、彼女が仕組んだのだった。
彼女が望み、選び、決定したから、わたしの人生があった。
当時、彼女の徒歩圏内には、高校がなかったから。
女には教育はいらないと言われていたから。
そんな中で、受験し、失敗し、短大に行くことになったから。
だから、彼女は自分の子どもには同じ轍を踏ませたくなかった。
そう、彼女は長い年月をかけて、わたしに伝えた。


わたしは彼女に勉強の仕方を仕込まれた。




勉強は簡単だ。特に入試勉強は。
小学生の頃から、きちんと毎日漢字の練習をして、本を読んで、100マスかけ算を一分以内で解く練習を小学生のうちにしておけば、勉強の習慣がつくので、中学生になるころには、だいたいどんな学校でも受かる。
彼女はわたしを塾に入れたがっていたが、わたしにはそこまで体力がなかったので、塾には行かなかった。それでも結果には何も影響しなかった。


手に職を就けることも、仕事をするという概念も何も身につけないまま、わたしは高校に進学し、そして、卒業した。


浪人を許されなかった彼女は、わたしを浪人させることにためらわなかった。
わたしは高校生のうちに体を壊して、高校に通うことが難しくなった。なんとか卒業はしたものの、受験勉強をする余裕はなかった。彼女は、当たり前のようにわたしを東京の予備校に入れた。


結局、わたしはからだの調子が回復しないまま、予備校をやめて、地元に戻るのだけれども。
わたしのからだが回復しないことを見て取った彼女は、わたしを理系の大学に入れることをあきらめて、私立の文系の大学に入れることを決断する。



わたしは勉強ができればどこでも良かったし、大学の選び方と、人生の関係がどうなるのか、ピンときていなかった。


今思うと、父も、母も、学歴と、自分の人生の関係があまりにも重かったのだろう。その重さが、彼らの口を重くして、わたしを自由にした。

わたしは自分で、どこまで選んでいたのかわからない。いつも、何も考えていなかった。
役に立つことや現実的に必要なことを考えていなかった。
わたしが考えていたのは、夢みたいなこと、空想、過去のいらだち、泡みたいな喜びや悲しみ、空気のにおいの変化なんかをいつも考えていた。
具体的に、自分がどう生きるかなんて、考えていなかった。


父と母は、それぞれシビアに、自分の人生を設計しながら生きていた。
誰も頼る人がいなくても、生きていけるように、考えたのだと、二人ともそれぞれ教えてくれた。


それなのに、わたしにそういう発想がなく、ただ、与えられた環境を贅沢に享受していただけだった。それは申し訳ないような気がする。そして、実際、そのことで何度か後悔する。

どこまでも広く何を選んでも良いよと、言われて、そこから選んだ。



わたしは、最初から、生まれたときから、どの高校に行くのか決められていた。そのために、わたしの母は住む家を選んだ。父は、少しランクを落とした高校に行った方が楽に過ごせるよと言ったけれども、母はそれを許さなかった。わたしもそれは望まなかった。そして、母は高校に入学したときに、「これは通過点だから喜ぶな」と言った。
わたしはその言葉がただただ悲しくて、いや、悲しいと言うのも違う、自分の気持ちにふたをして、それからうまく笑えなくなった気がした。


真夜中に、勉強をしていると、音もなく、部屋にするりと入って来て、背後に立って、わたしが勉強している様子を監視する母の気配。
わたしにはそれが忘れられない。
彼女の金切り声。
ひとりになれるのはお風呂の中だけで、シャワーを浴びながらすすり泣いていた。


母とわたしの人生は巧妙に混ざり合わされて、母が実現したかった人生をわたしが歩んでいる気がするようになった。
母が、わたしに勉強の仕方を仕込んでくれたことと、わたしが進路を自分で選ぶことを手放して、母に選んでもらうことの方が楽だ、争わなくてすむから、と思い始めることとが、わたしを引き裂いた。母がわたしに与えてくれた過去と、母がわたしから奪っていく未来とが、解離し始めた。
厳しかった勉強についての、姿勢は、わたしの将来のためだと言っていたのに、わたしの将来は、わたし自身のものではなくなっている、とわたしはどこかで思った。だから、その後、母とわたしは別離する。



わたしは学ぶことが好きで、大学に入ってからは、ずっと勉強していた。遊び方も知らなかったから、アルバイト、という発想もなかったから、毎日毎日図書館にこもって、本を読んで、大学の図書館にしかない、専門書を嬉々として読んだ。そのことが、将来にどう結びつくかなんて、何も考えなかった。勉強とはなんと面白く、自由で、美しいのだろう。胸を躍らせるのだろう。わたしは喜びでいっぱいになった。喜びで毎日はち切れそうだった。
思考することが、とにかくわたしを自由にした。
自由がどれほど、気分がいいことなのか、はじめて知った。
ひとりでする勉強は、わたしを孤独にして、自由にし、生きる喜びを与えた。


勉強することと、学歴と、それをうまくつかって、自分の将来の収入を上げることとが、わたしには何も関連しなかった。



ここまでお膳立てされていたのに、わたしは母の気持ちも、父の気持ちも、わからなかった。
裏切ったのだ、とあとになって知った。



わたしはただただ、勉強をすることが夢のように楽しかった。


卒業が近くなった頃、就職の選択肢はたくさんあったはずだけれど、わたしは就職活動をするという発想がなかった。
まだ勉強がしたいと思っていた。
あのとき、就職活動をしていたら…、と思うことが良くある。
わたしは世の中の流れや、人生の流れ、を理解していなかったのだった。まさか、わたしが、大学を出たら就職をするものだ、という当たり前の社会通念さえ知らないほどの世間知らずに育ったとは、父も母も思わなかっただろう。



わたしはそのころ、精神も心身もぼろぼろで、勉強は寝ていてもできるからなんとかなったものの、働くほどには丈夫ではなかった。母は「お願いだから就職しないで」と言った。
わたしはそれに従った。(なんと愚かだったのだろう)


母は、わたしを愛していた。そして、わたしの人生を蹂躙していた。さらに愛玩していた。
彼女は、彼女の人生をわたしにやり直させながら、わたしを手元に置きたがっていた。



彼女の母は、田舎育ちだったけれど、子どもを大学に入れることに執念を燃やす人だった。
だから、子どもを全員都会に出した。夜も昼も働いて。


その精神が、わたしの母にもあった。そして、彼女は、大学に子どもを入れる、という夢を見ていた。それが彼女の夢だった。夢だから、その先がなかった。わたしは彼女の夢を具現化した。そして、その先がやっぱりなかった。


わたしはもちろん自分で学歴とキャリアの関係を理解するべきだった。だけれど、理解していなかった。
ふっと、レールが切れた。



わたしはその後、なんとか、小さな会社に就職する。どれだけ不採用になったかわからないが、それでも一度は就職できた。
その後、結局、退職したのだけれど。



わたしは今、塾講師で、あの頃正社員だった頃よりも、使えるお金が多い暮らしをしている。
あんなに、頑張って就職活動したのに、やめてしまった。軽い気持ちで、アルバイトの代わりに始めた仕事で生計を立てている。許されるならば、ずっと続けていきたい。

キラキラした仕事でもないし、派手でもなく、だれかがうらやましがる仕事でもない。収入もそれほど多くはない。
だけど、私には合っている。(労働時間が短く、組織でもなく、裁量が広く、残業がなく、大人の男性と関わらなくて済む。子ども相手)
塾講師になるために勉強していたわけじゃなかったけれど、勉強したことが役に立っている。
そう、大学にいけば、職業選択の自由が広がる、と言うのは、やっぱり真実だったのだ。



わたしが好きな人は、わたしが勉強している間、ずっと、職業人生を着々と歩んでいた。
勉強することと、働き続けて、キャリアを積むことと、どちらが良いのかわからない。


勉強したことは無駄だったんだろうか?
そんなことは思わない。
でも、…そう、少し思う。わたしの勉強したことはどこに消えたんだろう?


わたしが勉強したことはどこかにたどり着くだろうか?



母が望んだような人生を歩んでいない。
職業人生、というものもまだない。


人生のペースがずっと早い人もたくさんいる。早くに働いて、早くに子どもを育てるような。
どちらが幸せかはわからない。
わたしには子どももいないし、仕事上のキャリアと呼べるほどのものもない。



わたしの心の中には広い宮殿のような空間があって、そこはとてもさみしい。
わたしは自分がさみしいことを幸福に思う。
さみしさをさみしさのまま、空洞を空洞のままにしておきたいと思う。
勉強はさみしさを広げていく。




わたしの母は、わたしから遠い場所で生活している。
わたしは、わたしだけの場所で生活している。


わたしは満ち足りている。
わたしの胸の空洞を埋めているものはたったひとつだ。