c71の一日

生活の記録

自分を粗末にしていた頃と、人に冷たくなった今

自分を粗末にしていた。


パートナーを選ぶときも、自分が相手を好きかどうかじゃなくて、相手が自分を大事にしてくれるじゃなくて、ただ、そこにいるから、って理由で選んでいた。


だから、相手がわたしを粗末に扱っていても、そのことに気がつきにくいし、気づいても、わからないことにした。相手が好きだから、わたしにひどいことをするんだ、と思いたがっていた。事情があるんだとか。


なぜなら、わたしは自分と向き合うことをしていなかった。いつも、自分のことばかり考えていたのに、自分を粗末にしていた。相手のことを考えてばかりいたのだけど、それは、「会いたい」だとか「さみしい」だとかだった。相手の都合を考えていなかった。
そして、自分の人生も大切にしてなかった。だから、人に粗末にされても平気だった。それどころか「恋愛」が盛り上がったように感じていて、より感傷的になった。感傷的な気持ちのエネルギーはわたしと相手を振り回した。ドラマチックだった。


最初から「恋」があったのか、なかったのか、わからない。
相手がわたしを求めた理由が「わたしのことを好き」だったからかもわからない。
手に入る範囲の「異性」だから、「異性に性的魅力を感じるタイプで、見た目が嫌いじゃなかったから」「妥協できたから」そういう理由だったかもしれなかった。


自分を粗末にすると、何をしても雑になる。
お金を使うことも雑になるし、人に対しても雑になる。それはいつも疲れているからだった。
人間を粗末にすると、エネルギーが減って、疲れてしまう。疲れると物事を考えられなくなる。振り絞った感情的なエネルギーで振り子のように振れているだけだった。


わたしは食べた。たくさん食べた。そして太った。
太って性的魅力がなくなったと、自分を裁いた上で、条件を絞って、パートナーを選んだ。
今度は闇雲に選んだり選ばれるんじゃなくて、自分に都合の良い人を選ぼうと思った。
痛い目を見て、いくらか学習したのだった。
条件で絞った相手のことは好きになりやすかった。嫌いなところがあまりなかった。いくらでも人はいる。その中で誰かを選ぶ、ということは、決める、ということで、「割り切る」ってことでもあった。
若い頃は、そういうことは「不純」だと思っていた。純粋に惹かれ合う者同士で恋愛するべきだと思っていた。
でも、純粋に惹かれ合うってことが、もうなんだかわからなくなっていた。
人に自慢できそうだとか、お互い成長できそう、とか、高め合える相手、とか、そういうのがないわけじゃない、とだんだんわかってきた。
合理的に、理性で、選んでから「好きになること」ができるようだとわかってきた。
見た目がある程度好きで、差別しなくて、働いている人がいいな、と思った。
そういう人は友だちでも好きになれる。差別する人は好きになれない。
好きになろう、と思った相手のことは大事にしやすかった。そうしたら、自分に対しても大事にしているのと同じことだった。
今回は、自分がいやなことをされていると思ったら、わたしは怒った。前にも怒っていた。でも、わたしの碇は無視された。なだめられたり、連絡を切られたりしていた。
いやなことをされてまで欲しい人間関係が、今はあまりなかった。
いやなことを我慢していると、それが当たり前だと思っている人が集まるから、早く正直になった方が良いのだった。
自分が差別しなくて、いじわるじゃなければ、普通にしていてもそんなには嫌われない。
わたしが、そういう人を嫌わないのと同じ理由で。そういうことに、最近気づいた。



自分を粗末にしたせいで、たくさんの人に迷惑をかけた。パートナーだった人も傷つけた。
早く正直になって、怒って、主張して、とっとと自分のやりたいように生きるべきだった。
そして、これからはそうしたいと思っている。


わたしはいろんな人を切り捨てる。冷たいとも言われる。でも、主治医の先生は賛成してくれる。
心の中にシェルターを作って、その中に閉じこもるように、二十歳の頃からアドバイスしてくれた。
シールドの中にいて、良い言葉だけ通過させるようにと。


わたしはそれが、なかなかできなかった。
冷たい自分になることが怖かった。人から同じように冷たくされるのが怖かったのだ。
冷たい、と言われることに怯えたり、憤ったりした。

わたしはいくらか、完全ではないにしろ、自立して、人を切り捨てることが怖くなくなった。
冷たいと言われても平気になった。
そして、あの頃よりも、冷たいと言われることは大幅に減った。
冷たいと言われることが平気になった。
わたしは冷たくて良い。冷たいと言われて良い。
冷たいと言う人こそが、わたしに対してすでに失礼だ。
何を期待しているのだろう。それは、わたしを都合の良い人間だと思っていて、あてが外れたからじゃないのか。
なら、わたしが冷たいからと言って、特に困ることはない。

切り捨てないようにしていた頃の方が、冷たいと言われる回数が多かった。
それは、気の合わない人が身の回りにいて、無理をしていたから、そういう人に言われたのだった。


大人になると、関わる人間の数が減る。
だから、とても良かった。
わたしは一生働きたい。
自分を粗末にする人生には戻りたくない。
大人になって良かった。
わたしは選べる。切り捨てる。閉じこもる。そして関わる。

冷たいわたしは、親切だ。わたしは冷たい自分が好きだ。