c71の一日

生活の記録

家族の話

わたしには三年前と比べてできるようになったことがいっぱいある。


サラダも作れるようになったし、野菜炒めも作れるようになったし、揚げ物もできるようになった。
片付けも体調によってはできるし、もっと体調が良ければ、洗濯物も干したり、取り込んだりもできる。


仕事も一回も休まずに言っていて、問題も失敗を起こしているけれど、なんとか、やっている。


服装がへんなことは何回か、あって、直していかないといけないと思っている。
ズボンはいて、カーディガン羽織れば良いんだけど、いやなときがあって服装に対するこだわりがナカナカ難しい。



家族はわたしに素敵な人になってほしいと言う。
わたしはそれを呪いみたいに感じる。
素敵な人って、なんだ?

ダイエットをして貯金して親に対する借金を返して、きちんとした服装で、家事もちゃんとやる人になってほしいと言う。会うたびに言う。


今わたしがやっていることでは十分じゃない、ってことが伝わってくる。そういう意図じゃないにしても、ダメだ、って思って、落ち込んで帰る。
わたしは薬を飲みながら、一生懸命やっている。
過食もやめた。やめられた。やめなさいと言ってやめられるものじゃないし、やめる気持ちになっても難しいのに、でもがんばってやめた。過食をやめるのはとてもたいへんだった。工夫がいて、やめられそうでも、気持ちがつらいときには、食べたらどんなに楽になるだろうと思った。
でも、食べてもおなかが苦しくなるんだ、ということを念じて、耐えた。


そして、散財はまだやめられない。それが今は悩み。



家族はダイエットしなさい、きちんとしたカッコウしなさい、貯金しなさい、借金返しなさい、という。占いのときには、そういうことをしていると顔に出るよと言われた。ボランティアでやりなさいと。
でも、あのときは、多重人格になるほど、わたしは病状が悪かったし、多重人格は別の人だから、わたしの言うことを聞くわけじゃないのだった。


いやだ、と精一杯拒絶した。そうしたら、素直に聞かないところがダメ、そういうところがダメ、自分の意思に沿わない意見でも行ったんは考えないとダメ、と言われた。
わたしはボロボロ泣いた。今でも思い出すと、ソラナックスを飲む。

そんな言い方で、人に信頼される人になりますか、今まで積み重ねたものをすべて失う、と言われた。そういうのは顔に出ますよ、と言った。
目の前が真っ暗になった。わたしの顔はどんどん悪くなって、信頼されないようになるんだと思った。そして、仕事を失うんだと思った。


わたしは病気の割に頑張っている。闘病中に、仕事もしているし恋人も作ったし友だちもいる。趣味もやっている。これ以上のことはできない。
いっぺんにダイエット服装マナー貯金、生活など聞かれるのも収入の額を聞かれるのもとてもいやだ。

家族に先生に聞いたらどう思うか、相談してみたら、と言われたので、先生に伝えたら、「困っちゃうな。僕だって何でも知ってるわけじゃないし、それにいつでもあなたの味方だから、お父さんやおかあさんが思っているようなこと、言ってあげられないしね」と言った。



あなたのためを思って、言いたくないことを言っているのよ、言いたくないことを言ってくれる人を大事にしないと、周りに誰もいなくなってしまうよ、わたしだって、言いたくない、具合が悪くなるくらい言いたくない、と家族は言う。
いくつになっても、子どもは子ども、親から見るといつまでも心配、という。


わたしはその言葉をフラッシュバックさせる。そうすると、叫んで、暴れて、泣いてしまう。
薬が必要になる。
わたしはきっとわたしのためを思わないで、大人だと思っている人に囲まれていたら、病気をしながら働くことが、ずいぶん楽になると思う。



彼氏は昨日から、わたしを労ってくれてわたしがひどいことを言っても怒らないで、豚汁を作ってくれた。サラダも。話を否定するわけでも肯定するわけでもなく聞いてくれた。
ありがたいと思った。お皿を洗ったら「洗ってくれるの?すごいね、ありがとう。さすがだね、c71の洗ったお皿はひときわ輝いているよ」と言っていた。