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c71の一日

生活の記録

女が働くことに含まれる危険、セックスワーク、接客業

コンビニで接客をしていると危険な目に遭うことも多い。


殺してやる、ふざけんな、なめてんのか、等と言われることもある。
身の危険を感じる。


多かれ少なかれ、女性の接客業をしている人は同じような目に遭っているのだと思う。
それは、セックスワーカーも同様だ。
そういう意味では「女の接客業」というのは危険がつきまとう。そして、低賃金だ。
低賃金の中で、どの職業に就くのか、を選択するのは個人の自由や尊厳だが、セックスワーカーに限らず、女でいると、どうしてその職業に就いたのか聞かれることが多い。


もっと努力しなかったのか、他にもこういう職業があるのに、とか、貧乏でも頑張っている人もいる、とか。



だけど、個人の事情には様々なものがあって、体力や気質や性格や体調や家族関係、運などそれぞれ勘案して、就ける職業に就くしかないのであった。
まともな仕事に就きたくても、まともな仕事は男たちのものだ。
そういう風に社会ができている。
少ない人数が、おこぼれで、女でもまともな仕事や、正社員になれることもある、というくらいだ。
まともな仕事とは、安全で、適正な価格の賃金を支払われる仕事だ。
安全とは、性別で、弱いかろうと強かろうと、命の危険を感じずに存在できることだ。

わたしは占いもしているけれど、どうして占いをしているんだ、と言われても答えられない。
たまたまだ。
それと同じように、たいていの人は、どうして自分がその仕事に就いたのか、説明できないだろう。
自分の特技を生かしたから、それを選んだと言う人も、それが、どうして、自分の資質となったのか、説明できないだろう。
資質も、伸ばせた才能も、努力も、環境も、ほとんどの人が選び取ったと思ってはいても、たまたま、運がよかったために、与えられたものだ。

コンビニで殺すぞと言われながらも続けている理由は、自分では説明できるし、友だちにも話すけれど、友だち以外に話したい理由ではない。まして、詮索されたら無礼だと感じる。






セックスワークをしている人も同じで、友だちには話せる理由だけど、詮索されたり分析されるために差し出して解剖されたいと思いながら語る人は少なかろうと思う。
なのに、セックスワーカーに対しては、その無礼をする人が後を絶たない。


女はどの職業を選んでも、罪を背負わされる。


結婚はどうするの、子どもは、だんなさんは、と。いつかやめるんでしょと。リストラをするときも女からリストラされる。男には家庭があるからと。女にも生活があるのだが。
そんな風に生きるしかないなんて、かわいそう、もっと賢く生きれば良かったのに、無計画、などとも言われる。



同じ程度に無計画で、同じ程度に無能な男には、職業が多様に用意されており、給料も高い場合が多い。それは、女の努力の多寡ではない。社会制度のためだ。



女は、危険な仕事をする場合が多い。女は女だというだけで危険な目に遭う。殺すぞと言ってくる客は、屈強な男性相手には、同じことを言わないだろう。
コンビニ店員をしていて、ストーカーにあって、職を失う人もいる。



職を失うことは生活に直結している。女だから、仕事をしなくても生きていけるはずだという妄想を抱いている人がなぜか世の中にいて、その上、社会制度にも組み込まれているからだ。しかし、たいていの女は、働かないと生きていけない。女の背負っている危険は、男の危険とは違う。
男の職業の危険とは、例えば高所の作業だとか、肉体労働だとか、そのようなものだろうと思われるが、女の危険は「男から加えられる有形無形の危害」だ。


その危害からは、いや、損失と言い換えても良いが、それは、暴力だけではなく、社会制度からくるものや、会社の風土、たとえば女がシャドウワークを強いられることも含まれる。
たとえば、リストラをされるときに女から選ばれることだったり、法律が整備されていないために起きるマタハラなどもそうだ。セクハラもそうだ。シャドウワークをやらせて、その上で、男性と同じ量の仕事をさせ、無能だと言い募り、自尊心をへし折る、ということも、女特有の危害の加えられ方だ。
女には、男と同じような仕事をさせない、補助的な仕事に終始させる、また、研修を受けさせない、出世のチャンスを与えない、ということもそうだ。
飲み会などで親睦を深める、という場で、女が男と同じように振る舞えず、上司に気に入られる機会を逸することもそうだ。男と女では、上司に気に入られるという意味が変わってしまうと言うこと自体もそうだ。
(日本の社会では上司という立場にあるものは、たいてい、男だ)


男と同じように、いや、それ以上に努力しても、女は出世することもできないし、賃金の高い仕事に就くこともできない。大卒の女の給料は、中卒の男と同程度だ。





女と男の労働状況はフェアじゃない。



その中で、セックスワークを選ぶ人もいる。


なのに、セックスワークに関しては、職業選択の自由を尊重せず、詮索し、裁き、責める人がいる。
たいていの人は生きるためや生き甲斐や、暇つぶしのために仕事をしているのだと思うが、セックスワーカに関しては、そうであってはいけないとでもいうように。


同じ接客の仕事に就いても、男性が殺すと脅されることと、女性が殺すと脅されることとの、アンバランスはあり続ける。


セックスワーカーが詮索されるのと同じように、低賃金の仕事に就く女へ、「どうして、もっと計画的に人生計画を練らなかったのだ」と詮索する人は多い。
女は、子ども生むから、不利だとか、それが最初からわかっているんだから組み込まないとダメだとか、いう人までいる。


だったらそれは、社会が用意するべきじゃないのか。女が子どもを産むことができる性だというのは、人類発症の時点でわかっていることだから、個人がそれを知るよりも早い。


でも、そうはなっていない。



女というだけで、危険。
女というだけで、生きることが困難。
女の接客業はもっと危険。


だったら、賃金の低い接客業よりも、賃金の高い接客業を選んだ方がましじゃないのか。

セックスワーカーの危険と、コンビニの接客業の危険は、危険の量が違っていても、種類は同じだ。
密室でいること、裸でいること、を除けば同じだ。



でも、だからといって、給料が高いのだから危険でも良いじゃないか、それも織り込み済みで働いているのだから我慢すべき、という意見があったとしたら、わたしは断固として否定する。



その危険を許すならば、わたしもやはり、危険にさらされることでは同じだからだ。
給料は何で決まるか。
それは、儲かっているかどうかで決まる。
危険の量で決まるわけじゃない。



危険が嬉しい人はいないだろう。
なのに、セックスワーカーに対しては、その常識を失って発言する人が多い。
如何である。



セックスワーカーに対するまなざしと、その他の接客業に関する女、もっというと、働いている女はすべて同じまなざしで裁かれている。
わたしたちは、みな同じ危険の中で働いている。


保障は名ばかりで、何かあれば滑り落ち転落する。
詮索する人たちは、責めるばかりで何もしてくれない。



自衛にも限度がある。
なぜならば女をやめることはできないからだ。
女だから狙われるのだから。
女を狙って、犯罪が行われる。男でも女でも良い、というわけじゃない犯罪が多数存在する。
女だから、虐待される。
女だから、暴行される。
弱い属性だと見なされているから、低い身分だと見なされているから、何をしても良いと思われている。

女という形を、表象を、わたしたちはやめることができない。
ボーイッシュな形をしても、女らしい形をしても、わたしたちは、女という性だ。
社会がそれを決めた。
女という表象を持っている限り、あなたは「女」だと。
だから、「女」としての扱いをすると。
わたしたちは、女という表象を捨てられない限り、その扱いから逃れられない。
その性である限り、わたしたちは、危険の中で生きている。
わたしは女である。
危険をくぐり抜けるサバイバーである。
すべての女はサバイバーである。