読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

c71の一日

生活の記録

過食の話

過食の話はわたしの大きな秘密のひとつで、少しずつ人に話せるようになったのは最近です。
そして、たいていの人はやめろという。
そりゃそうだ。


わたしだってやめたいよ、好きでやっているわけじゃない。
好きでやっているわけじゃないのに、どうしてするんだろうと思われるだろう。
でも、説明はできない。
やりたくてやっていないけれど、やってしまうことなんだ。
やると落ち着くような気がしていた頃もあったけれど、今はそうじゃない。


ただ、悲しいことや苦しいことがあると自動操縦みたいになって、食べてしまう。
食べている間、楽になるとか、楽しいと言うことはなくて、ただただ無感覚になる。
無感覚を求めて、口を動かしている。暇をつぶすためだとか、昔はそういうこともあったかもしれないけれど、今は機械みたいに口を動かしている。楽しくもないし幸せでもないし、おいしいとも感じない。



この前は乳製品を二リットル食べた(牛乳とチーズとヨーグルト)。
今日は、ハンバーグ二個、豆乳とマテ茶の混ぜたやつ一リットル、サラダをどんぶり一杯、鶏のそぼろ、カマンベールチーズ丸ごと一個、鯛の焼き物、なすの炒め物、を食べた。



苦しい。
苦しいと思ったのは久しぶりだった。
いつも無感覚になって、暇がつぶれて、感情が麻痺すれば良いと思っていたけれど、そうじゃなくて、おなかが苦しかった。つらい。


過食をして、デブになることや太ることがつらいと思ったことはあるのだけど、おなかが苦しくてつらいと思ったことはあまりないような気がした。


友だちにラインで応援してもらった。
「あなたの胃は今頑張っててとても偉い。太ることについてはまた後ほど消化が終わってから考えよう」と言われた。過食を見守られたのははじめてだ。そうして、はじめて、苦しくなった。


過食をすることで、わたしは自分の精神のクッションを作ってた。

いつも、自分の思うように動かないからだが不満で、いじめていた。言うことを聞かないので。
思うようにタフじゃないからだが嫌いだった。
だから、せめて、自分が思うようにいじめていた。



苦しいと、はじめて、からだがわたしに話しかけた。
そういうことなんじゃないか、と友だちは言う。
友だちは、「もっと優しくして、大事にして、話を聞いてほしいんじゃないかな。そして、いじめられたら者を言えなくなるから、和解できると良いね」と言った。


過食をやめようとしても、食べる量を減らそうとしても、突発的に、不安定な精神状態になると過食をしてしまった。




過食をしても、精神は安定しないのだけど、麻痺した。だから、食べた。
でも、わたしは今苦しいという感覚を得た。
なんだか、過食をやめられるような気がする。


昔に比べて、ヘルシーな、食べ物を過食に選ぶようになった。野菜やタンパク質をたくさん取るようになって、スナック菓子や、甘いお菓子、そういうものは食べなくなった。
少しずつ変化している。


過食をしないひとからみたら、当たり前のことで、どうしてやめられないのか、意志が弱いんじゃないか、くらいに思われているだろうけれど。



過食はわたしの精神を守って来たけれど、今度は、わたしはからだに優しくする番かなあ、と思う。
人に対して、過食をしていると話せるようになったから、だから、わたしのからだは、苦しいと、はじめてわたしに伝えて来たのかもしれない。

広告を非表示にする