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c71の一日

生活の記録

男は何から女を「守る」のか ……誰かが、わたしを助けてくれることはできない

わたしは助けを求めるが、それ以上に、わたしを助けてくれる存在はない、ということを知っている。

愛の労働

愛の労働


深夜三時に目が冴えてしまったので、この本を真ん中から読んでいる。
わたしは本を最初から読めないときがあるので、そういうときは真ん中から、拾い読みをする。


非常に面白いのは、性的な関係を、労働といっているところである。
以下、稚拙ながらも、拾い読みした部分を要約する。
100ページ前後について。


労働をいかに男性が回収するのかと言うと、恐怖によってである。売春する女は、その関係を破壊するので、つまり、家庭の労働を回収する邪魔をし、性行為の相場をつりあげるので、「悪い女」とされる。強姦は、性労働を何の対価を受け取ることもなく強いられる正真正銘の労働であるため、もっとも攻撃性が高い。
妻は、家事労働と性的職務を行う。それは扶養と交換される。


ロマンティックラブ・イデオロギーについても書いてある。
国家は、ロマンティック・ラブ・イデオロギーによって、男の暴力を直接的に称揚する。女たちは怠けたらどんな目に遭うかを知ることになるのである。
イデオロギーは、「良い」女を「悪い」女を引き離す。良い女とは愛の労働としての家事労働を引き受けるか否かだ。そこで、境界が形成されている。家庭の安定は、この分離が持続するかにかかっている。
これは暴力の一形態である。男の地位の安定は、女にイデオロギーをどれだけ認めさせることができるかにかかっている。
女がイデオロギーを乗り越えるときは、女が金のかかる存在になることを望むときである。家事労働の中心的職務である性行為を金のレベルで契約しようとするときに生じる。
これを望む女は「並外れて悪い女」になる。家事労働の中心的食味である行為を愛によって供給することを拒否し、それによって家事労働自体を支えている愛のイデオロギー全体の確信を揺るがしているのである…。


これは、非常に面白い。ここからがわたしの考えたことである。
男が女に暴力を振るうとき、それはたいてい問題にならない。警察も来なければ、裁かれもしない。男は女を殴るときに、心配しない。自分が、犯罪者になるかどうかを心配しながら暴力を振るわないだろう。だいたいは、かっとなって、思わず、という。相手を選んで理性的に「かっとなり」「思わず」暴力を振るっている。
男は、女を殺しても、死刑にはならない。「悪い」女を殺したときには、ますます刑が軽くなる。女が犯罪に遭ったとき、まず、「女」が悪い女か良い女かを論じられるのをみなさん、ご存知だろう。
国家は、暗黙の了解で、男が女に暴力を振るうことを許容し、そのイデオロギーでもって、国家を運営しているのである。再生産が、女の「愛の労働」によってのものだと、国家には都合が良い。



男が女を守る、というときには、「男の暴力から女を守る」という意味である。その背景には、国家の容認しているイデオロギーを前提にした男による暴力がある。
それがあってはじめて、「男が男の暴力から女を守る」機会や大義名分が与えられるのである。
そう考えると、「男による暴力」が本当になくなっては、男は困るのである。
ロマンティック・ラブ・イデオロギーによって、女を獲得し、家事労働を愛によって、させることができなくなるからである。
だから、「守る」と言った男が、何から女を「守る」のかは、ほとんど明言されない。女たちは、無意識に「災害や事故」からではなく、「男による男のための暴力」から守られる(本当かどうかは別として)と知っている。

そして、男の暴力とは、すべての男(システムとしての男、制度としての男という意味)に必要とされている。それは、男がロマンティックラブイデオロギーを前提にして、女を獲得するにあたって、女を常に「怯えさせ」「暴力の存在をわからせ」て置く必要があるからである。そうでなければ、男は何から女を「守る」と言えるのか。
守るからには「何か」から守らなくてはならず、それは災害や事故であってはならないのである。
「男の暴力」から女を守らなくては意味がないのである。
(もし、災害や事故からだけならば、女は女だけで自分たちを守れるか、男も同様に無力だからである)
その、前提があって、はじめて、男は「女を守る」という言葉と引き換えに女を獲得できる。
だから、男は女を守りながら暴行するという一見矛盾したことができるのである。



セックスワーカーが非常に「悪い」女とされるのは、ロマンティック・ラブ・イデオロギーの外にいるからである。そして、ロマンティッ・ラブ・イデオロギーの存在を核から破壊する概念だからである。
彼女たちは、暴力を前提とした庇護と交換に、愛としての性行為を差し出さない。金銭と引き換えに性行為を差し出す。そうして、「愛としての性行為」を「労働」だと思わせないようにしているイデオロギーを攻撃する。性行為を「労働」だと、すべての人間にわからせる、という意味で、セックスワーカーは、「悪い」女なのだ。


だから、国家は「良い」女と「悪い」女を引き裂き、「悪い」女をさらに暴力下に置く。そのことで、「良い」女を怯えさせ、「悪い」女と連帯することを防ぎ、ロマンティック・ラブ・イデオロギーの崩壊を防ぐのである。





そのために、セックスワーカーに対する蔑視があるのである。セックスワーカーのことを考えると、平静な気持ちでいられないわたしがいる。平静な気持ちでいられないようになると、考えることが難しくなる。
難しいことは考えられない。
たいていの人間は「悪い」女を「悪い」と思っている。
それだけだ。


そして、ロマンティック・ラブ・イデオロギーは、女を男に獲得させ、性労働をさせるために、機能し、国家を存続させる役に立つ。
ロマンティック・ラブ・イデオロギーは男による暴力なしでは、存在できない。
男が「守る」というためには、「男による暴力」がなければならないからである。
「悪い」女も「良い」女も、国家によって、引き裂かれた存在である。
「悪い」女のことを考えること自体も、「悪い」女である。
なぜなら、ロマンティック・ラブ・イデオロギーを崩壊させる行為に当たるからだ。


そうして、国家は、「わたし」をロマンティック・ラブ・イデオロギーや、愛の労働について、考えずに生きる「わたし」を生成することに成功する。
そして、暴力を肯定し、女に対する暴力故に、暴力を前提とした女(男の暴力からお前を守るという誓いによって……ただし、本人が暴力を振るわないとは言っていない)を獲得する男のシステムの中に組み込まれ、供給されるのである。

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