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c71の一日

生活の記録

ミソジニストよ、世界は豊かなものでできているのだ

c71.hatenablog.com
これ書いたら

男女の性差があるとしたら(言葉遊び) - c71の一日

論理的思考力高いならば論理構造整理した端的でわかりやすい文章書いていただきたい

2015/06/12 23:51
b.hatena.ne.jp
という反応があって、なんて、感情的な反応なんだ、と感慨深かった。
具体的には微笑んでしまった。


そして、もっというと、なんで、わたしが論理構造整然とした文章書けとかいわれなきゃいけないのか、ということとか、論理構造整然とした文章ももちろん書けるけど、書きたいときに書くし、今書いてないから書けないというわけでもないし、そして、あれはあれで、読める人には意味が通じているから、論理破綻してないわけでした。


そもそも、感情的なことが劣っていて、論理的なことが優れている、と思うこと自体もおかしいのだけど。だから、この人が感情的だからと言って、貶めようとは思わない。
だが、自己矛盾への看過や、相手に対する要求を無邪気にすることへの内省が一切ないのは気楽だなと思う。


どうして、論理論理と騒ぐのだ。論理なんて、たいしたものではない。
わたしは論理的であると同時に、感情的にも優れている。
感情的に豊かだと褒めてくれても良いだろう(えっへん)。
自分が論理的だとわたしが言ったから、気に障ったのか?
それは、男性の領分だから、自分にもジャッジできる、その能力があると勘違いしてしまったか?
それとも、ジャッジする資格があるとでも思ったのか?



そうそう、文章を書くときには、主観で書いていようと客観的に書いていようと主観だと言われるのだ。
事実はいろいろな側面から価値判断できるので、中立に立った書き方というのは、そう見せているだけで、実際そうではないのだった。それは単なる技術の問題だったり、好みの問題だったり、立場の問題だったりする。



男女の性差があるとしたら(言葉遊び) - c71の一日

データや根拠を求めるのが攻撃というのは笑っちゃう。現代社会で男性は不利だよって俺も言ってるんだがなあ。犯罪被害者もほとんど男性だよー。女性に有意に多い被害はひったくりと性犯罪くらいじゃないかな。

2015/06/12 10:02
b.hatena.ne.jp
あとこれな、一方的にデータを求めてきて、例示すると、偏ってるとかデータの分析が甘いとかずっと言われ続けるのな。差別を主張するのには必ずしもデータいらないのな。
データを論理性のキモ!データこそ至高!みたいに考えているとしたら、論理性という言葉に対する考え方がうすーくて、悲しくなって来てしまうわ。(冗談だけど、悲しくはない)


あと、「俺も言ってる」というのはキモい。きもいのが悪いわけじゃないけど、まあ、言ってたとしても、影響力はなかったみたいですね。


性犯罪を犯罪から除くのかも謎だ。どうしてなのか。ていうか、そこは認めるんだ。性犯罪の被害者がほとんど女性で、加害者がほとんど男性だということを。つまり、犯罪に対しては、男性の方がなりやすいということを。
そして、だからそれゆえ、性犯罪やひったくりを犯罪から除いたら自分の立場が保てないのだろうか。ひったくりと性犯罪を軽んじているのなら、本当に困ったことだ。
そして、男性の方が犯罪被害に遭いやすいのなら、どうして、男性は男性に「自衛しろ」と言わないのか。女性にばかり言うのか。不思議だ。
どうにか、具体策を講じるべきじゃないのか。
「男性は解決策を講じる!女性は共感を求める!」んじゃなかったんですか。
そこは、ぜひとも、男性らしさだしてもらっていいところですね。
動機がどうあれ、対策してもらったら文句ないですよ。
でも、解決策は未だ講じてないみたいですね。
男性の方が犯罪者になりやすくて、男性の方が、(言い分を信じるなら)被害者になりやすいんだったら、どうにかしたほうがいいんじゃないのか、ってわたしは思うのだけど。


(女性は加害者を取り締まれと言ったり、加害者に対するケアをしている自助団体あるみたいですね。加害者の考え方を変えるセッションしたりとかそういう動きしてます。そういう形で解決策を探ってるんですけど、男性の抵抗にあって、なかなか進まない。
どうして、犯罪を防ぐことに対して、男性が抵抗するのか、論理的に!理解できないんですけど)



データね、そうね。女性の生きづらさを証明したければ、さっきのエントリのはてブを見ればわかるんじゃないかな。
データって、数のことだけを表しているわけじゃないからね。質もあるからね。
そういうわけで、ミソジニストの存在は、疑いもない。数じゃなくてね、割合を見てね。ミソジニストの割合、すごいからね!そして、ミソジニー出すことに、ためらいを覚えない人の数がこんなにいるのか、って思うと、怖いよね。その心が。




今の日本社会は、男性が考えたルールで動いているゲームだ。
だから、論理と感情で言ったら、論理の方が「良い」みたいな価値観があるけれど(明文化されていないと主観だとか言う人もいるけど、でもあるよねー)、実際には優劣なんてない。
だけど、男性にとっては、論理優勢の方が都合がいいから、そういうルールになっているのだった。そして、女性はそれに合わせている状態だ。そして、評価するのも男性だ。
同じ行動をとっても、男性は「論理的」だし、女性がは「感情的」だ。
わたしがこうやって文章を書いていても「感情的」と言われるか、もっと「論理的にしろ」と言われる。
でも、わたしがもし男性だったら?同じことを言われるんだろうか?
男性に対して男性はもっと点が甘いんじゃないのか?



何が優れているのかを決めているのは男性だ。
実際には腕力が現代社会の役に立たなくても、「男性の方が身体能力に優れている」と言いたい人はたくさんいる。
実際には役に立たなくても、男性の特質とされているものは、評価の対象になる。
「何時間でもたわいないおしゃべりができる」というのも能力だと思うけれど、それは評価の対象にはならない。これは、実際社会の役に立っていることなんだけど、そういう目に見えない、測れないことは評価されにくい。そして、測れないのは、どうしてかというと、男性に興味がない分野、つまり、再生産の分野だからなのだった。
何時間でもたわいないおしゃべりができることは、お金になるところだけで考えても、接客で役に立つし、介護、育児でも役に立つし、情報交換することにも役に立つ。世の中を平和に保つ役に立つ。おしゃべりしないで、自慢ばっかりしたら、戦いになってしまう。



フェミニズムは男性も救わないのか、と問う人もいるのだけど、男性に対するケアワークをやめたい、もしくは評価せよ、お互い自立しよう、という話なのに、「フェミニズムでケアしろ」ということを堂々と言ってのけるひとには「そこから!!!」としか思えない。
ウーマンリブは女性解放運動で、フェミニズムは、左派運動から始まりそれを批判しながら動き、世界のものの見方の枠組みを変えた(パラダイムシフトよ!栄光あれ!)が、未だ、日本の男性の視点は変わっていないらしい。
メンズリブはまだ萌芽の動きさえなく、それさえ、女性にやってもらおう、と思っている男性がいるのは片腹痛い。
男性たちは、自分たちの生きづらさに鈍い。そして、その生きづらさに気づいたとしても、その原因を分析する力が弱い。だから、メンズリブと謳っていても、生きづらさの原因を女に求めたり、女の方が優遇されていると言ってみたり(それこそデータを無視して)、女のケアがまだ足りないからだ、と言ったりする。



男性も解放されるべき。そうかもしれない。しかし、なにから?
そう、男性から。
男性も弱者で、被害者なのだったら、誰も助けてくれないのだから、自分自身でするしかない。
そう、誰も助けてはくれない。
ウーマンリブを男性が助けたか?いいや、助けない。
ウーマンリブを支えたのは誰か?女性だ。
データが必要だと男性が言ったので、ウーマンリブの闘士たちは、データを集めた。フェミニズムだってそうだ。女たちの領域は、定量化しにくい。だから、そうしたことに不利だった。だが、彼女たちはそうした。
だが、フェミニズムの闘士たちは、そうした、男性的価値観の声によって、男性の文脈によって、男性の言葉で(書き言葉で)表現すること自体にも内省的になった。男性的価値観で男性にわかってもらうために、どうしてデータを集めて分析して説明しないといけないのか?



わたしたちは、あるがままで、すでに完成されており、わたしたちのものの見方はそれだけで優れている。
それの証明を男性に向けてする必要があるのだろうか?
男性は、定量化したものしか理解できない。(多くの男性は、とかっこ書きをつけないとやっぱり気に入らない人は多いだろうから、一応つけようかな。言いきりが気に入らない人は多いから。おれは、男性だけどそうじゃない、とかね。そうじゃない男性もいる、とか。それこそ、実際にそうなのか、データを見せろ、とか言われたりして。
おお、Not All menよ!)


実際には、世界はもっと豊かなものでできている。
その感受性がないものに、理解させようとすることは、難しいのだと、わたしたちはもう既に知っているのだ。