c71の一日

生活の記録

ふざけた態度と感じ悪い態度

ふざけた態度を取っていたので、気をつけようと思った。
母親と同居しているとき緊張を和らげようとしていたけど、今は必要ない。
それは過適応と診断されたのだから、もうしない方が良いの。
今いる相手は穏やかで、気分を悪くしても、当たることはない。
(そのまま嫌いになられるのではないかと、不安になる、怖い)


感じ悪い態度を取ってしまう。
同居人に。
悪い面ばかり観てしまうから、いい面を見たら、嫌みな言い方をしないで済むかな…。


無償労働については、基本的に、対価を払ってもらうことで、相手に、工数を把握してもらうことにした。
そしてしてほしいことには、お金を払って、自分でできることは自分でする。
わたしは、料理を相手に作るのはロマンチックで好きだけど、それが当たり前になるのはいやだった。掃除をしているのは、わたしなのに、埃がたまってると教えてもらう事態におかしいと思った。
その場で「良いよ」というと、ずっと良いよ、になってしまうのだな、だから、いやだ、って嫌われても良いから、言わないといけない。でも、そのことを一生懸命すると、感じの悪い人になる。
でも、腹をくくろう。


気がついた人が家事をする、というのはくせ者で、普段やっている人ほど気がつきやすい。
そして、責任を持って、管理している人になってしまう。
そうすると、常に部屋がきれいに保たれていたら、やっていない人はますます、気づかなくなる。
それが当たり前になる。簡単なことだと思う。
掃除自体は簡単だけど、綺麗に保つ、というのは、けっこうたいへんだ。
一人暮らしのときよりも、責任が増えた。わたしの意識下では、負担が増えた。でも、同居人は自分のことはするけれど、他のこと、向こうに、全体の管理を主体的にする、という意味で、生活の責任を担ってもらっていないと気づいて、わたしは、悩んで、対価を得ることになった。


わたしは確かに幼い部分があって、至らないし、ダメなところもあるし、柔軟さに欠けていて、ルール重視で、感情的だし、嫌みなことも言ってしまう。
でも、だからといって、責任を分かち合う、ということについては、頑固だと思われてしまうのはつらいけど、譲れないから、しばらくでも、ずっとでも、そうするしかないなと思う。

相手にとっては、感じ悪いだろうし、「そういう人」って思われるだろうし、ケチだと思われるだろうし、ついでなんだからやってよ、とか、わたしの方が時間があるから頼みたいとかいろいろあると思うけれど、でも、だったら、対価で示してもらわないと、わたしも、向こうを感じ悪いと思ってしまうし、「そういう人」と思ってしまうし、ケチだと思ってしまうので、関係を維持するためには、仕方がない決断だったから、だからこそ、しかたない、じゃなくて、主体的に選んで、嫌われても良いから顔色をうかがわずに、腹をくくって敢行する。


わたしは別に素晴らしい人間になりたいわけじゃなくて、対等になりたいんだった。
でも、それとは別に感じ悪いところは直したい。