c71の一日

生活の記録

若かった頃



女性は、あらゆる視点でジャッジされるが、とくに、「美しさ」「若さ」については、肯定的にジャッジされる。若くて美しいと伝えることは良いこととされる。伝えられることも良いこととされる。


わたしは若くて(たぶん)美しかった頃、それでもやっぱりそのことを言われるのがいやだった。
反応に困ったからだ。
なぜ、この男の人は、なんにも関係ないときに、美醜の話を持ち出すのだろう?なぜ、この人は、自分が美しいとか美しくないとか、言いだすのだろうか?
わたしは男の下心というものがよくわからないくらい幼かったけれど、いやな雰囲気は伝わって来た。
わたしはちやほやされることもあったし、されないこともあった。
その間、わたしが思っていたことは「いつも、わたしはわたしなのに」「どうして、状況によって評価が変わるのだろう」「わたしの本質を見て!」と思っていた。
人に話せば、「本質を見てというのは甘えだ」と言われた。
わたしは、若く美しい女だったから、わたしの言葉は誰も聞かず、わたしの胸の大きさや、からだの形や、顔のの様子ばかり気にされた。
もし、ものを言って、聞いてもらえたのは、「若い女だからなんだろうか」と思った。悲しかった。
その悲しさも自意識過剰だと責められるような気がして人に言いだせなかった。
そして、伝えたとしても、目的が達成されるなら良いじゃない、良いことじゃない、評価されるのだから、と一蹴されたのだった。

わたしは社会運動に参加したことがあった。今のように大規模なものではなかったから、比べられないのだけれど。

そのとき、彼らは自分の言葉を届けるために、自分の若さを差し出した。その若さはあっと言う間に消費された。わたしはその様子を見ていた。
盛り上がり、消費され、忘れられた。
効果的に、広告的に、キャッチーに、と。そうしたものは、効果的に、広告的に、キャッチーに受け入れられたけれど、終わるのも早かった。効果的に忘れられた。
疲れていくことも。


動くこと、頭数をそろえること、主張すること、政治家に会うこと、テレビに出ること、デモに出ること。効果的な広告、ツイッターでの広報。
みんなが一生懸命だった。
その一生懸命を見ながら、自分でも出来ることをしようとした。
お金や時間や労力を差し出した。


だけど、あのころも他の人の発言を読んでいたら、胸が痛んだ。

一人一人考えて行動する、ということは、差別に関しても、それぞれの温度差や感度の差があるということを思い知らされた。
わたしにとって、大きな差異は、彼らにとって、小さな差異なのだ。
生きるか死ぬか、というほど、わたしにとって、大きなことでも、だから、わたしと同じような人にとってもたぶん大きな差異だったのだけど。
わたしは、何度も、差異のことを訴えたけれど、ナイーブすぎるとされる、というか、それ以前のことで、わたしの言葉が理解されなくて、届かなくて、却下されるというところにすらいかなかった。
それは、個人的なことで、わたしが一人で我慢すればいいことだった。


運動という大きな目的のためには、小さなことで止まっていられないと、彼らは言うのだった。
すべての意見を聞いていたら、運動なんてできない。
目的を達成するためには、多くの人数を集めるためには、と言うのだった。



女の子たちは、数人を残して去っていった。
バッグヤードだって、大事ですよ、といって、表に立つ男の子たちをサポートするのに徹する人たちや、若くて美しい、差異を飲み込める子たちだけを残して。


わたしは、デモで演説した。「普通に、生きていけるために」と話して、それは、TIMES に取り上げられたから、きっと世界の人に届いたのだと思って、とても嬉しかった。その高揚は今でも忘れられない。


だけど、ある集会に参加したときに、女の子が料理を作って、女の子がお皿を洗っていた。男の子たちは、酒を飲みながら、政治談義をしていた。


ああ、これはなんだろう……。

上野千鶴子先生の本で書いてあった、30年、40年前の光景と何も変わっていないんじゃないか。



ある綺麗な女の子は、権力を持つ男の人の彼女になった。それは恋愛の結果だろう、とわたしは思ったけれど、なんだか危険を感じて、それ以来、その場には行かなくなった。



わたしにとって、男女差別というのは、自分の存在をすりつぶすほど、大きな差異だ。違和感だ。
だけど、男の人たちにとって、それは、なんてこともない。


自動的に料理が運ばれて来て、自動的に皿が片付いていくこと。
運動にとって、皿が片付くことは、小さなことなんだろう。
だけど「大きなこと」をするのが誰なのか、自動的に決まるのは、なぜなんだろう。
それがからだによる属性に見えるのはなぜなんだろう……。



わたしは一生懸命話したが、わたしの言葉は届かなかった。
男のからだを持っている、女のからだを持っている、それぞれの違いが、同じ言葉を話しているはずなのに、沼の中に、飲み込まれるようで、最後にはしんとした静寂だけが残った。


だから、わたしは、自分が今の運動に参加しないことを自分に許している。
わたしは、あのとき感じた高揚を懐かしく思いながら、わたしのからだは、国会の前に運ばれない。
こうして、言葉を紡ぐけれど、わたしのからだは、わたしの言葉のために邪魔なのだ。


多様性を認めるということは、日の丸を掲げるとか、英雄的なことだったり、差異を気にしないということではなくて、弱くて柔らかい小さなものの声をいかに拾いあげていくかという、泥臭いつまらない、かっこわるいことなのだと思う。
ナイーブすぎたり、センシティブすぎたり、みっともないものの言葉に耳を傾けて、時間がかかる、のろくさい、効率の悪いことをすることなのだと思う。


効率の良さを求める気持ちが、戦争に繋がると思う。

強い、かっこよい、合理的なもの。
それを拒否したい。


心のような、あやふやなものはないものとする世界と、
ぽつぽつとしかでてこない言葉を使う世界の対比。


それは時間がかかって、面白くはないかもしれないけれど、大切なことだ。

心をつかわなかったから、戦争に向けて動いてしまったのだ。

わたしのからだはわたしのもの。
それがすべてのはじまりだ。

戦争に反対な理由も、自分のからだを自分のものだと言いたいから。

わたしのからだは、ここにあって、誰にもジャッジされたくはない。
わたしのからだは、わたしのために使いたい。
わたしが何をするべきだとか、何をしてはいけないとか、誰にも、二度と決められたくはない。だから、わたしは、今自分ができることを一生懸命したいと思うし、それが、誰かが望む、正しいことでなくてもかまわない。
わたしは、自由を望んでいて、自由でいたいから、戦争に反対だ。
だから、わたしは、自分が不自由になることを、許可しない。
戦争に反対するために、なにかを犠牲にしたりしない。
それが、宣伝になろうと、売りになろうと。
わたしは、もう、若くて美しいわけではないから、売りになるものがないと言われればそれまでなのだけど。それに、今のデモは、若くて美しくない人を拒否しているようにも見えるから。
小さな差異や大きな差異を飲み込めずにいる多くの人々を、必要としないでいるようにも見えるから。
差異を飲み込めないこと自体を、責められているように感じているから。
それを怯懦や怠惰だと。そんなことよりも、行動せよと言われているように思うから。


わたしは、そう感じる。感じるものは仕方がない。感じるし、だから、わたしは文章を書く。このことが、なにも役に立たないとしても。もっとも効果的な行動が、デモに行くことだとしても、最適解を選ばない、そのことだって、尊重される世の中が良いと思うから。
わたしは、戦争に反対だ。安保にだって反対だ。
からだや心を、他人に譲り渡すことに反対だ。
だから、今のデモにもいけない。
心やからだを裁かれてしまうから。
完璧なものなんてないと知ってはいても、わたしはもう、若くなく、美しくもなく、少なくともあのときよりは少し賢くなっている。その賢さは、わたしの図々しさを支えていて、わたし自身の判断に優しくなっている。
行けない、行きたくない、と思う心を、裁かないでいてくれる。
そして、わたしのような事情を抱えている人が、きっとたくさんいるのだろうと、想像できる。
昔のわたしは、行動しない人に優しくなかった。


今思えば、わたしは「使えるものは使う」という価値観に反発したかったのだ。
若さも美しさも、自分のためだけに使いたかった。
そういられる世界をつくりたかったから、社会運動に参加したかったのだ。
若さも美しさも誰のためでもない、消費されるものでもないと、今だっていつだって伝えたい。

わたしは使えるものになんてなりたくなかった。
そう言えるための言葉を手にしていなかったときから。

そして、その上で、今は心の狭さも感情の動きも判断も、自分の一部だから愛している。だから自分を差し出すこと自体をわたしは拒否できる。