c71の一日

生活の記録

空気を壊せ

わたしが病院で真っ先に言われたのは「空気を壊していい」ということだった。
「ノーと言えなくても、空気を壊しても、とにかくその場から立ち去れ」といわれた。

彼女は、わたしに「警報は聞こえるか」と聞いた。
警報ってなんですか、と聞くと「心のアラーム」と答えた。
「危険が迫って、でも、それが危険だと分からないとき、それでも何かおかしいな、気持ち悪いな、我慢しているなと思ったときには、どんなに空気が和やかで、みんなが談笑していたとしても良いから、何も言わなくていいから、その場から消えるの」と教えてくれた。


「相手が何を考えていたとしても、そのアラームに従って。それで、相手が怒りだしたとしても、関係がないのよ。あなたは自分を守れる。あなたしか自分を守れない。空気に流されないでいい。相手の気持ちを考えなくていい」とさらに続けた。
「それで気を悪くするような人なら、縁がなかったのよ。あなたがそのあと説明しても分かってくれない人は、やっぱり潜在的に危害を及ぼす可能性がある人。世の中には、一切危害を及ぼさずに、関わってくれる人が星の数ほどいるのだから、そういう可能性のある人と関わる必要なんて全然ないの」と言った。


それ以来、わたしは、心のアラームを大事にしている。
ちょっとでもへんだな、と思ったら、そのことを第一に考えている。
相手が尊敬できる人だろうが、恋人だろうが、パーティーだろうが、恩のある人だろうが「まさか」「そんなことが」起きることはいつだってある。


その先生は「やりたくないことは一切やらなくていい」と言った。
「やりたくなったらやりなさい、やりたくなければやらなくていい。誰かに何か言われたからとか、何かした方がもっと良いとか、それはなぜその人がいうのか考えなさい。あなたのためを思って、とか、でも、それは本当にあなたのためになるの?あなたは自分で考えることができる。だったら、あなたは自分にとって一番役に立つことを考えることができる。誰よりも。
だから、誰かの言うことを聞く必要なんてない。あなたは一番あなたのことを考えて行動できる。
誰かのためだとか、そうじゃなくて、自分のために行動しなさい。
あなたは、自分のために生きるの」といった。


それは、今でもわたしの指針になっている。
人間関係で迷ったり、誰かを愛したり、別れたり、離れたりするときにいつも考えている。
わたしの「アラーム」はわたしの理性よりもいつも正しい。
悪い予感は良い予感よりも当たる。
悪い予感には、理性がねじ伏せて忘れようとして来た細かい事実の積み重ねを踏まえて、わたしに警告してくれる。

空気は誰かが意識的に作り出した支配だから、それに従うことなんてない。
あなたより大事なものはない。
空気なんてどうでも良い。誰かの思惑の一部に過ぎない。
空気を壊したくらいで怒りだす人には価値がない。
あなたのような素晴らしい人はそんな人のために時間も心も使わない。


空気を壊していい。
したくないことはしなくていい。
何かせよ、さもなければ、覚悟を示せ、何かを犠牲にして差し出せ、といって脅してくる人は危険だ。
あなたがなにもしないからといって、あなたに価値がないなんてことはない。
あなたはあなたのしたいことを選べるだけでなく、したくないことを選べる。
他人から見た価値なんてどうでも良い。
ただ、生き延びて、危ない目に遭わないために、それだけを考えて、心のアラームをいつも大事にしてほしい。
わたしはいつも忘れかけるたびに心のアラームの話を思い出す。