c71の一日

生活の記録

差別とは人権蹂躙だ

差別という言葉の意味が分からない人がいるらしい。c71.hatenablog.com
これでとりあげたことだけれど、差別とは人権蹂躙だ。

だから、「このくらいの差別は良いだろう」というのは「これくらいの人権蹂躙は良いだろう」といことだ。


人権蹂躙しながら、「許してもらえるだろう」「許してもらえないとしたら、相手の心が狭いからだ」と言うのはおかしいとわかってもらえるだろうか。


人格や人権や容姿には、おいそれと、踏み込んではならない。それができなければ、コミュニケーションできないじゃないか、と思う人が、もしもいるとしたら、それは、あなたにコミュニケーション能力がないからだ。
世の中には天気の話もある。当たり障りのない話はできる。女の人格や容姿についてのからかいが、当たり障りのない話だと思っていたとしたら、それは勘違いだ。しかし、その勘違いは良く散見される。



性差別で運動が破壊される、という言葉の意味が「性差別を放置していたら、運動がその本義を失う」という意味だったら良かったのになと夢想する。
夢想するが、実際には、「性差別問題でブレーキがかかったら、運動が破壊されてしまう」という自分の心配ばかりだ。人権が侵害されている人への痛み、そういうことについて、考えがない。



事件を蹂躙されることはとてもつらい。自分の思っていることやしたいことがつぶされて、お情けのように、ちょっとした自由に、希望を見いだしたりして。
つらいなかで、小さな幸せを見つけることが、成長だと言われたりして。自分をだまして。


だけど、人は羽ばたいて、好きなように自由に生きられる。人権蹂躙を許すことが、世間を渡る上での秘訣なんて嘘だ。


自分の気持ちを一番大切にしてほしい。自分の直感を一番に考えてほしい。
考えなくて良い、言い訳も聞かなくていい。自分の気持ちが一番大事。
いやなことを耐えることで成長するなんて、人をコントロールして、搾取したがる誰かの嘘だ。



心の中の宝石みたいな綺麗なものを大切にして、誰にも踏みつけられないでいてほしい。
性差別のことで止まっていられない、運動が破壊されてしまう、と書いてしまう人がいるところだ。
それがすべてではないだろうし、もちろん、デモには意義がある。素晴らしいし応援したい。だけれど、もしも、へんだな、という直感がある人は、そこから外れていくことに、罪悪感を持たないでほしい。


そして、くだんのツイートをした人には、差別は、人権蹂躙だから、大きい差別も小さい差別もなく、だからこそ、誰かにこれくらいの人権蹂躙は我慢してほしい、と取られることを言うことをやめてほしい。
運動が止まることが恐ろしいのなら、人権蹂躙について考えてほしい。自分以外の人に我慢させることについて考えてほしい。
なんのために、反戦を掲げるのか、それは、戦争というもっとも大きな人権蹂躙を防ぐためではないのか。

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