c71の一日

生活の記録

魔法を使う

生徒さんから深刻な悩みを打ち明けられる。
他の人に話せなかったり、親にも話したけど、それでも他の人に聞いてほしかったり。
行きずりの他人だから、話せるんだろうなと思って聞いている。



乗り越えなきゃいけない、強くならないといけない、ポジティブに前向きになって、暗い気持ちをコントロールしないといけない、という子が、本を読んで「透明な存在」て言葉に共感をしていた。同調圧力にあわせていても、透明な存在になってしまうし、人と違うことをしても、避けられて透明な存在として扱われてしまうって。辛い部分をストップして、楽しい部分だけで人と付き合うって。でも、それだと、うわべだけの付き合いだと感じて辛いって。話してくれた。


わたしはお金で雇われているだけの存在だから、話していて、怖くなったり、いやになったら契約をやめれば良いだけだから、生徒さんも気楽だ。


病気になったり、食べられなくなったりする生徒さんもいるし、学校に行けなくなる生徒さんもいる。今からこんなペースで悪いことが起きて、大丈夫なのかとみんな不安になっている。



わたしはうんうん、って話を聞いたり、一緒に怒ったりする。
「相づちをうつだけでお金をもらうなんて」と怒る人もいるだろうけど、そういう仕事もあるんだ。
困っている人からお金を採るように見えるのかもしれないけど、困っている人はお金を払ってでも話を聞いてほしいのだし。
お金をもらってうつ相づちって、普通にうつ相づちとやっぱり違う。すごく優しくなれる。
お金を払わないと安心して打ち明け話が出来ない人ってたくさんいる。やっぱり、秘密を漏らされたり、自分が傷つく反応をされたりするのが怖いから。怖いと言うか当たり前の心配なんだけど。
相づち打つだけ、て思う人は相づちの魔法をバカにしていると思う。相づちには魔法がある。
魔法で、元気が出たり、気が楽になったりする。
それは魔法だから、具体的に何か出来るわけじゃない。

わたしの相づちには技術があって、魔法があるから、普通の相づちとはやっぱり違う。
自分で言うのもおかしいけれど、プロの相づちなのだ。
相づちを打つ合間にもいろんな話を聞いたり話したりする。
それがいつもちょうど良い感じじゃないといけない。
説教に傾いたらだめだ。


「相づちくらいでお金をもらうなんて」と思う人は相づちを真剣に打ったことがないのだ。
それは労働だし、やっぱりたいへんなことだ。間違えたら相手が死んでしまうくらいの気持ちで、命がけで打つ相づちもあるのだ。


子どもたちは不安定で、信頼関係のある、でも他人で、お金で割り切れる大人、という存在が必要なのだ。


自分は自分だから、自分の問題はなんとかするしかないし。逆に、自分の楽しみも自分で作るしかない。
具体的に何かしてもらうだけが良いんだって思う人はそうすれば良いけれど、そうすると、人生が他人に乗っ取られてしまう。
自分が自分で生きていくためには、お金を払って相づちを打ってもらって、元気を出すくらいがちょうどいいんだと思う。