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c71の一日

生活の記録

困っている人からお金をとること

この前ベシーのブログに「困っている人から金をとるな、勉強もしていないのに相づちだけで占いと言って金をとるな」というようなコメントがあった。


そのときはかっとしたのだけれど、このことに疑問を持っているひとがいる、ということだから、ひとつひとつ考えてみたい。


わたしはそもそも、塾講師で生計を立てている。困っている人からお金をとる仕事だ。
勉強ができないから、困っている人に、勉強をわかりやすく教えて、悩みも聞く。将来に関わるすべてのことを請け負う。
これは、無料で教えている「学校」というものがあるのに、それでは足りないから来ている人たちに対しての仕事だ。
困っている人からお金をとっている。間違いない。
でも、すごく感謝される。お金を払うだけじゃなくて、感謝もくれる。お客様は。それは、「わかりやすくものごとを説明する」「心に沿う」人があまりいないからだったり、お金を払っていても、嬉しいと思う何かがあるからなんだろうと思う。
わたしはすでにお金をもらっているから、それ以外のものを受け取らなくても良いと思うのだけど、でも、仕事から、社会との接点だったり、嬉しい気持ちだったりを受け取ってる。全然悪いことだと思ってない。



どの仕事も困っている人からお金をとっているのだと思う。困っていなかったら、それをほしがらない。お金を払ってでも、ほしいのだ。

無料でやる人もいる。もちろん。でも、無料となると、しがらみだったり、お金以外のものを対価として払うことになる。
どんなに無料だと思っていても、それだけではすまなかったりもするし、お金を介在しているから安心するという気持ちは確実にある。


以前、無料で同人誌を配ろうとしたとき、無料だと誰もほしがらなかった。値段を付けたら、買ってもらえた。100円のときより30円のときの方が売れた。その方が価値があると思ってもらえた。自分で「これくらいの価値がある」と胸を張れるものから売れるのだと思った。



わたしは分かりやすくものを説明することのプロであり、相づちを打つことのプロだ。
相づちを打ってもらえることで、人は何かを乗り越えたり強くなったりしないし、しない方が良いと思うのだけど、でも、気が楽になる。
楽しいところだけで人と関わろうとすると、自分を限定的にしかさらけ出せないので、どこか、空虚になって、元気がなくなってしまう。でも、友だちや知り合いにつらいところを話すことは難しい。病気のことや、プライベートのことをむやみに話して、言いふらされるのは困るからだ。
だから、見ず知らずの人に、お金を払う、ということを通して、信頼関係を作り、その上で、話すというのは、安心できることなのだ。


間違える人が良くいるけれど、分かりやすく説明することや、相づちを打つことは無償じゃない。
無料でもない。
わかりやすい説明というのは、技術だったり知識だったりで、その人がお金をかけて、時間をかけて集めて来たことだ。
それをただでかすめ取ろうとしたら泥棒だ。
知っていることなんだから。減らないんだから、というのは、その技術や知識に対する尊敬が足りない。
そして、教えている間の「労力」も無視している話だ。
無料だとしたら、その人と友だちだからだ。でも、教えてもらったり話を聞いてもらったら、だいたいの人はお礼をすると思う。
友だちじゃない人から、分かりやすい説明を受けたら、お礼の仕方はたいていお金が一番喜ばれる、という話なんだと思う。


占いをすることになったのは、今は治ったけど、多重人格になり、その人格が占いをしたいと言ったからだ。
その人は霊視ができた。今も、なんとなく、その人の過去に起きたり、現在に起きたり、未来に起きることが何となく見える。
だから、わたしはその人の気持ちの整理の手伝いが出来る。それに、説明もできる。わたしは説明のプロだ。物事を整理して考えるプロだ。
占いの部分はアミューズメントだと考えている。その人に関わることで、どうでも良いようなことを当てると、クライアントの人はちょっと喜んでくれる。猫の柄だとか、人間関係で悩んでいる相手の人が薄毛だとか、太っているとか、小柄だとか、本人の腰が遺体とか、足が冷えているとか、そういうことを当てられる。
わたしはそういうのにたいして、オプションで祈ったりも出来る。だけど、本当の病気に対して治せない、ということも伝えている。
わたしは、相づちを打って物事を整理して、そして、こういう未来が見える、とか、こういう過去が見える、と言ったりする。

けれど、そのこと自体をなんとかするのはご本人ですよ、ということもお伝えするようにしている。
わたしは、治せないし、物事を良くしたりも出来ない。でも、指針をほしがっている人がいる。わたしは指針を作れるけれども、作らないようにしている。なるべく誘導しないようにとも思っている。一緒に考えるために、前提を整理して、その人が本当に何を欲しているのか、考えるようにしている。
病気の人には病院に行った方が良いとも言う。



占いを始めたことで、周りをぎょっとさせたと思う。
でも、占いの内容は、未来や過去を見ることと、相づちを打つことと、説明をすることだ。
相づちを打ち、励まし、説明をすることはそもそも生計を立てている仕事の一部だ。
相づちを打つだけでお金をもらうことを悪いと思う人がいることは分かった。
でも、相づちは自分を解放するために、たまに必要になるものだ。
わたしは一生懸命、考えてものを言ったり、聞いたりする。
相づちを打つだけでお金をもらうというひとは、相づちをバカにしている。
相づちはとても大事なものだ。一生懸命わたしは話を聞く。わたしと話したい人もいるだろう。他にも占い師もいっぱいいるし、心理学をやっている人や、カウンセラーや、精神科もある。でも、それでもわたしに話したいとその人が選んだなら、止める筋合いもないし、わたしはあくまでも選択肢の一部だ。そして、お客様はそのことを分かっていると思う。



だから、困っている人からお金をとるな、と非難されると一瞬ひやっとするけれども、わたしはそのことをどういう壊れる筋合いはないと思う。
お金は関係を省略して作り上げる道具なんだ。関係を作るためにお金を差し出すことは、別に、特別なものでもない。

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