c71の一日

生活の記録

良い人だけど毒親ってこともある

わたしの父は良い人だけど毒親だ。
生きている人だからあまり悪くも言いたくないのだけど、金銭的責任は十分すぎるほど果たしてくれたし、わたしのことを気にしてくれるし、大事に思ってくれているけど毒親だ。



わたしの母は料理を作るのがうまかった。おいしいごはんを作って待っていてくれた。でも働かなかった。そして、わたしのパーソナリティをつぶすようなかわいがり方をして、ペットのようにあつかって、わたしを虐待した。
わたしは自分の親を、礼賛していた。虐待されながら。
二人とも素晴らしい人なのだと思っていた。わたしがいなくなれば、お父さんはわたしたちに対する支援を断ち切って、おかあさんが飢え死ぬと思っていた。人質なんだと思ってた。

そのときの心細さは忘れられない。おかあさんがしがみつくようにわたしに抱きついた。あのときの重さ。暑さ。感触。あなたを守るからと言いながら守ってほしそうだったあの感じ。



悪い人だから虐待するわけじゃない。良い人でも虐待する。クズだって良い人だって虐待するし、クズだって悪い人だっていい親になる。


もちろんおいしいごはんを作る毒親、誠実な毒親、まじめな毒親、社会適合者な毒親、社会規範に収まった毒親、常識のある毒親、仕事のできる毒親、いろいろいると思います。毒親だから、人格のすべてが全部ダメってことじゃないから、見切りを付けるのが難しい。


パートナー選びと同じですねー。



初期設定として毒親に育てられてないから見る目があるわたしラッキーというツイートを見て、よかったね、と思うと同時に「今の段階ではそうかもしれないね」と思うわたしがいます。わたしもわたしの両親とても素敵と思っていた時期があるからです。

つっこみたいのは、自分の母親に見る目があったら、良い父親を持つ自分にも自動的に見る目ができ、母親に見る目がなかったら、人生終了なのかよ、ってことです。

自分の母親に見る目があってもたまたまクズと結婚することもあるだろうし、見る目があっていい人だと思ってもそのあとクズになると言うこともたくさんあると思うのですが、その難関をくぐり抜けてずっと良い父親だったのはずいぶんラッキーだねと思うのですが。


でも、自分には見る目がなくてクズだけとしか付き合わないからって自分や自分の親がダメだったからと思いすぎると絶望しかまっていない。


そして、わたしは男を見る目がない。ない。それは初期値がどうのこうの、生まれがどうのこうの、育ちがどうのこうの、って理由だったら、もーわたしにはどうしようもないので、絶望するしかありません。
でも人間学べると思いますね。初期値が良くても、子どもとして良い父良い母に見えても、人生の段階によって、感じ方は変わるかもよ、と思うし、初期値が悪くても、だんだん「虐待されていたから虐待するような人、パーソナリティをつぶす感じで愛する人を好きになる」というのから逃げられるようになると思うんですよね!


わたしの母はわたし思いですが、妹とそろって「あなたはパーソナリティ障害だから!」と言って来た日のことは忘れられません。
かといって、精神科に行こうとしたら、止められましたし…。
それでいて「わたしは偏見ないから。勉強しているから」と言っている一方で「仕事場の人があの病院からは変な人が出てくる、でもしかたないよねー、って言ったの」という会話をしたとかそういう話が出てくる人でした。
ダブルスタンダードも良いところだ!
わたしはこの人はそのときどきによって言うことが違いすぎると思い、混乱しました。
だけど、彼女は、自分がそのときどきで全然違うことを言っている気がしていないんですよね!自分が何を言っているのか分析しないから。理解できないの。嘘つきなのかなと思ったこともあるけど。



良い人だけどクズ、クズだけど良い人、良い親だけどクズ、良い人だけど毒親など、いろいろなパターンが存在します。
毒親って他人のパーソナリティをつぶして、一方的に自分の型にはめてかわいがろうとしたり、かわいがらなかったりする人のことだと思ってます。
物理的な虐待もあったけど。かわいがりながら虐待するってことが人間には可能。
いつも、虐待するってことは難しくて、ときどきかわいがりながら虐待しながら監視しながら自分の思うステイタスのある職業に就いてほしいと願いながら教育熱心になることも可能。優しい顔も持ちつつ、虐待することも可能!


だから、わたしは虐待されて、良い親だと信じているから追いつめられているのに、自分を無理矢理幸せだと信じて言い聞かせていた頃がありました。あの頃わたしの目の瞳孔は開いていたと思います。

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