c71の一日

生活の記録

差別は構造的なもの

鏡を見ていると、「見とれているのか」「みていてもかわらない」と言われていたので、鏡を見るのが怖くなりました。
おかあさんにいわれたことです。

おかあさんといた頃を思い出すと、主語がおかあさんなのが当たり前の時代だったです。
おかあさんがどうするか、何を言うのかが一番大事です。

だから鏡を見ることが怖いし、見ているところを人に見られると、ばっと鏡を隠してしまいます。
冷静に見られません。


差別や虐待というのは構造的なものです。弱者が、強者を虐げられる仕組みがあることです。
そして、強者はそのことに罪悪感を抱かず、正当性を担保する仕組みがある、それが差別の仕組みです。

c71.hatenablog.com
この記事に「男は」と書いたのは、「男が女性を差別する仕組みが前提の世の中」だからです。
そうじゃない男性もいるでしょう。そういう男性は、わたしが今しているように、ブログに書いてほしいです。
そうして、男性を男性の内側から変えていってほしいと思います。
わたしはわたしのブログで、自分の心を整理したいと思います。


わたしにわかってほしいと望むことはとても難しいことです。
わたしは、セクハラの話をしたかったわけではありません。
構造的に、虐待行為が、男性の場合は許されていると言う話を書きたかったのです。
だから、「よかれと思って、いやなことをする女性もいる」というのは、構造から外れるので、差別だと考えていません。
男性は、差別にのっかって、その行為をしているのです。
それに女性の場合は「おせっかいで」「無遠慮に」「ずけずけと」いらぬ親切をする場合が多いと思います。
それは、わたしが男性に対して思っていることとは違います。
男性は優遇され、それゆえに、鈍い、ということを書きたかったのです。

わたしにコメントで少数派に配慮してほしいと書いた方がいます。
数が少なくとも、権力を持っているひとはいます。
そして、男性で、マイノリティで苦しんでいる方がいたら、その方をわたしは救えません。


わたしは女性が「マイノリティ」だと思っています。
だから女性のために書いています。
それが、わたしの立場です。
男女差別は構造的なものです。
優遇されている男性も失っているものがあるはずです。
だから、差別はやめるべきです。


「俺のことも考えてほしい」「こういう人のことも考えてほしい」と書きたくなる人がいるのはわかりました。
それも、わたしの考えにないだけで、差別の被害者なのかもしれません。
情報が少ないのでわかりません。だから、書きたくありません。
わたしは、差別をやめてほしいだけです。
だけど、わたしには知らない人のことを考えるキャパがありません。
だからどうか、別の人に頼んでほしいと思います。
わたしは差別のことを考えたいです。

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