c71の一日

生活の記録

わたしは説教をされるのが嫌いだ

わたしは自分で自分を成長させることができると思っている。
わたしには人生経験が偏っていると言う自覚がある。
だから、自分で自分を育てている。学んでいる。親は育ててくれなかったから。心の問題を。


それに対して、説教をする人は、わたしの弱みに付け込んでいると、感じる。
わたしのすべてを知っているわけでもない。わたしは自分の最善の方法を考えている。わたしの過去に詳しい友だちは、わたしに説教をしない。アドバイスだけで、わたしが癒えると思っていないからだ。
そのかわり、傷つけ合っても、関係を壊さず、辛抱強く、いてくれる。


説教をするということは、関係性を作る手間を惜しんで、時間を惜しんで、自分の言いたいこと、正しいことを、相手に伝えたい欲求を先にするということだ。だから、わたしは説教をする人とは対等な関係を築けないと思うし、好きになれない。友だちにもなれない。
わたしの友だちは、わたしに対して慎重だ。わたしがまずいことをしたときには「自分を主語にして」これはわたしにとって悪いことだからやめてほしいと言ってくれる。関係を悪くすることを覚悟していってくれる。
説教をする人にはわたしとの関係を悪くする覚悟がない。わたしが従順に受け入れる結末しか予定しない。
だから、わたしがそれを受け入れないと言うと、「それじゃ成長できない」「悪い点を言ってくれる人を大事にしないといけない」と言って脅す。
説教をする人は、わたしの友だちほどは、わたしに対して、辛抱強くない。
だから、わたしも説教する人に対して、辛抱強くいることができない。

広告



わたしが見る限り、誰でも悪い点を持っている。世の中はそれをなあなあにして受け入れている。そのことで、死ぬほど悩んでいる人はいない。わたしは自分の欠落に死ぬほど悩んでいる。そして、薬をもらうくらいだが、そういう状態の人に死ぬほど悩む人に、欠落を新たに教える人は、端的に言って無神経だと思う。


説教をするのは自由だし、どこかに説教をされるのが大好きな人もいるかもしれない。
それが多数派なのかもしれない。
わたしは少数派なのかもしれない。
だけど、わたしは、説教が嫌いなので、どうか、説教をしないでほしいと思う。
されても、無視します。

広告を非表示にする