c71の一日

生活の記録

わたしにバカって言う人なんなんだろう

ブログをやっていて、ときどき、「バカ」と書き込みをする人がいる。
そういう人には、最近、バカ、とか、それに準じる言葉を書いている時点で削除するようにしているのだけれど、本当に納得いかない。
わたしがバカかどうかでいうとバカじゃないと思う。
バカと書く人はわたしが、「自分は賢い」と書くことがすごく納得いかないらしい。
わたしにバカだということを教えたくてたまらないようだ。
賢いと書いている割にバカ、どこが賢いの?これも知らないくせに、みたいなことを書く。
わたしは当然だけど、賢いとは思っているけれど、何でも知っているわけじゃないことは自分でわかっているし、何でも知っていると書いたこともない。知識の量が賢さに関係しているとも思っていない。


わたしは賢いから、少し孤独だ。話が噛み合ないことも多いから。それは、検査したときに病院の先生に言われた。もっと高ければ良いのに、高いほど良いんでしょ、と言うわたしに、これ以上、知能指数が高いと、孤独になるから、これくらいで良いんだよ、まあ、少しうらやましいけど、と先生は言った。
これくらい高ければ、なんでも簡単に記憶できるし、言葉にできるし、理解できるから便利だろうね、良いなあ、と先生は言ってくれた。
今まで勉強で苦労したことないでしょう?暗記が苦手だと言っていたけれど、普通の人よりもずっと得意なはず。
話や文脈を作ったり読んだりする方が得意だから。自分の中で苦手だと思っていただけで。


知能指数が高すぎると孤独になるという、その言葉は最近わかる。ある程度頭の回転の早さが同じくらいの人じゃないと、わたしの言っていることはわからないこともあるようだ。人にわかるように話すために、気を使っている。
わたしの世界を共有してもらえることは気を使わないと難しい。


頭の善し悪しで、人間性ははかれない。それも最近身にしみる。どんだけ頭の回転が速くても間違った応えにたどり着く人はたくさんいる。正しく頭の良さを使えていないのだ。逆に、ゆっくりでも、正しい答えにたどり着く人もいる。だから、頭の回転は、人間性にも、答えの正しさにも関係がない。



だから、わたしは人を評価するときに、正しい筋道で考えられるか、人間性が良いかで判断する。
頭の善し悪しは、あまり評価の対象にしない。なぜなら、わたしは頭が良いから、それで評価すると、たいていの人を見下さないといけなくなる。そんな孤独な道を歩みたくない。


わたしにバカ、と言う人は、わたしより賢いかもしれない。だけど、自分以外の人を、自分よりも賢いか、バカか、といちいち言っていると、孤独になるのではないだろうか。その人より賢い人が少ない世界では。バカと話したくないと思えば、自分が明らかに、知能指数が高いとしたら、自分と同じ程度の人を探すのはとても難しくなる。そして、自分と同じくらいか自分より賢い人としか話したくないのなら、でも、その賢い人も同じ価値観を持っていると思ってしまえば、自分以外と話せなくなるんじゃないかな。


自分より、バカか自分より賢いかで世界を二分していると、自分より賢い人については、「自分をバカだと思ってるんじゃないか」と恐ろしくなって話せなくなるし、バカな相手をバカにしているとやっぱり嫌われて話せなくなる。
人を見下すと、嫌われてしまう。
だから、孤独になる。
わたしにバカと言う人は、普通の世界でいても、人にバカって言って回ってるんだろうか。
それは、なんのためなんだろうか?
利益はマイナスだ。
人にバカだというと、軽蔑されたり、信頼されなくなる。
メリットがないのに、どうしてそんなことをするんだろう。


賢さは、この世の中で評価されやすい気質だ。
だから、わたしは社会的に尊敬されつつある。仕事も出来るし、高学歴だからだ。高学歴が評価される職種はあまりないかもしれないけれど、わたしの業種は、出た大学が評価の対象になる。
現実の世界では、わたしのことをバカだと言う人は少ない。内心そう思っているのかもしれないけれど。それはわからない。


わたしは不利な情報もこのブログで書いている。だから、それを持って、わたしを攻撃できると思っている人がいる。それだって、わたしが提示したものに過ぎないのに。わたしが自分でオープンにしている情報で、わたしをバカだと判断することは、それこそバカなんじゃないだろか。

わたし自身がその不利になる情報をオープンにしなければ、その人は、わたしをバカにすることすらできない能力なのだな、と思う。

わたしはその人たちについて自分を省みて恥ずかしいと感じる知性がないんだな、と思いながら削除する。

わたしは、二次障害もあるし、精神病だし、自閉症だが、自閉症だと言うことは、愚かだということを指さない。
わたしは世の中にかなり適応して暮らしている。
そのことは、不利な条件を乗り越えるだけの賢さを示している。
最初から適応性が高い人よりも、不利な部分を埋めることができる分、能力が高いのだ。
見た目の出力は低いかもしれないが、もし世界が反転していて、今、能力が高く見える人が、わたしと同じくらい適応できるか、考えてみれば良い。
人を、病気や、オープンにしている情報だけで、バカとののしる人は、愚かだなと思う。その先が読めていないから。