c71の一日

生活の記録

本当に◎◎の人は◎◎って言わないっていう幻想

わたしにバカって言う人のメリットがなんなのか、本当によくわからないので、考えてみました。


c71.hatenablog.com
ここのコメントに大阪府寝屋川市からお越しの方が書いていたのですが、(大阪府箕面市と2007年10月1日くらいに一回引っ越してるかもしれませんね)


だから馬鹿って言われるんだよ。
本当に賢い人は自分から賢いなんて言わない。言わなくても、他者は自然と感じてその人が賢いと認める。
でもスピーカーみたいに「私は賢い!数値が証明している!」というあなたは馬鹿であり愚か。きっとそうすることでしか自身を保つことができない。数値上、賢い人間なんて山のようにいる。しかし皆が皆、あなたみたいに自己主張はしてない。なぜなら、本当に賢い人は言わなくても伝わるから。
あなたは自閉的だからか知らないけど、自分が一番という癖が強い。それに付け加え、私は賢い自慢。そりゃ、馬鹿って言われるよ。

2chもお好きなんですね。
すごく不思議なのですが、わたしにバカっていうメリットはなんでしょう?わたしが「ああわたしはバカなんだなあ」と思わせることで何か良いことがあるんでしょうか。
本当に幸せな人は幸せだと言わないとか、本当になんとかのひとはなんとかと言わないって言いますが、幸せなときに「しあわせー」「たのしいー」「うれしいー」と言えない人生って楽しくなさそうなんですが。
それはともかく。

それを自分で実行するのは勝手ですが、他人には強制できないかと。まして、その人の感じていることは否定できないわけですからね。感じ方はそれぞれなので。

感じ方を変えろ、表現するな、と言って回るの不毛じゃないですか?
そういうことをしていると、周りに嫌われると思うのです。
しかし、いくらなんでも当然嫌われることは覚悟の上でやってるんだと思うのですが、それをするメリットがさっぱりわからない。
メリットなしでするんだったら、もっと意味が分からない。

嫌われるのが好きなのかな。



だから、本当に、不思議でしかたない。
わたしが言ってもいないことを読んでいるし。わたしは自分より賢い人がいることを知っているし、そう書いてもいるし。
その人をうらやましいとは思うけど、そういう人に賢いと言うな、言うからには愚かだ、伝わるのを待たないことは愚かな証拠だと思わないし、自分より愚かな人に「賢いと言うな」とも言ったことがないので。
どういう気持ちでこのコメントを書いたのか、本当に不思議。



自己主張することをどうして悪いと思ってるんでしょう?自己主張したらその人の個人的な性質が掻き消えるんでしょうか?
言わなくても伝わるとか言わなくても評価されるとか、わたしはそういうことを求めているわけではないわけです。
評価されたかったり、知ってほしかったりするから、賢いって書いていないので、そういう取り方をするんだなと驚きました。
しかし、それで、あなたの何を攻撃したわけでもないのに、あなたはわたしを攻撃するわけです。
嫌いなものを見たいってきもちはわたしにもあるからわかるのだけど。



自閉症は関係ないじゃないでしょうかね?確証のないことは書かない方が良いんじゃないですか。
それこそバカっぽくみえるわけだから。自閉症の人は自己主張が強く、自分を一番だというとかね、差別だから。
わたしがオープンにしていなかったらこの一文も書けなかったわけでしょう?
わたしを傷つけるための会心の一文を放ったわけだ。普通最後の一行ってまとめですからね。
馬鹿であり愚かってフレーズ面白いですね。


自己主張することと、人に伝わることと、賢いことにはなんの関連性もない。
でも、関連性があると思ってるんですね。
そして、関連性のないことでも、「馬鹿」とか「愚か」とか「自閉症」とか書けば、人を傷つけられると思ってるんですね。
自己主張したらダメだって思い込まされてるんじゃないですか?


「あしたのこと」なんて、自分が切り開くんですよ。思い込みから自由にならないと。



本当に優れている人や、幸せな人に黙っていてほしい、という願望があるのはわかりました。
口に出している人を見たら、「言っている人は幸せじゃない」と思っていたら、事実上自分の身の回りには幸せな人も優れている人もいないって思えますものね。
それがこの幻想のメリットなんでしょうか?
本当に◎◎な人は◎◎って言わないっていう幻想は、そうじゃない人が、最後に残ったプライドを守る砦なんでしょうね、きっと。
言葉で書かれていたり、声で聞いたりすると、普段考えないようにしていることが、思い出されておつらいのでしょう。
それって、大変ですね。

嫉妬されるのがめんどくさい人はそりゃあ、黙っているでしょうが、だからといって、見えなくなったからと言って、それであなたが幸せになれるわけでもないんですよ。
自分がもし幸せで、黙っている方が良いと思うなら、そうすれば良いけれど、そうしないわたしにそうしろ、っていう権利はないのです。
わたしの推理が正しければ「見えないものはないと思い込める性質」なのかなあ、と思います。
でも、消えない。嫉妬も。

他人に嫉妬しても、別に幸せになれないんだから、やめた方が良いと思いました。


追記



あれだ、言わないでほしい、って願いなんだね。
そうじゃないと「自分を保てない」んだね。
幸せそうな人や、優れている人に「幸せ」「優れている」と言われたら、逃げ場がないから、せめて言わないで隠れていてほしい、という願いなんだね。
本当にそういう人は言わない、もし言う人がいれば、本当にはそうじゃない、と言えばゼロになるもんね。
幸せな人も、優れている人も。
見なくて済むための処世術というか。


他人に強要するのが個人的には浅ましいと思う。