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c71の一日

生活の記録

イミさんの文章に共鳴したこと、罪を抱えて生きること

わたしはイミさんのブログを読んで、反射的に、加害者として文章を書くことは偉いと思った。



わたしは、被害者としてブログを書いている。
それでも叩かれる。
恥ずかしいと思わないのか、そんな目に遭うのは異常だから、被害を隠そうともしないなんて気持ち悪い、と言われる。


だから、正直に書くことの恐ろしさをわたしは感じる。



また、わたしは被害者としてエントリを書き続けていることに違和感を感じ始めている。


それは、長い人生を生き延びる過程で、わたしも誰かを踏みにじってきたと思うからだ。



わたしには加害者としての側面がある。



人にはそれぞれの人生や感じ方があって、だれもそれを踏みにじってはいけない。


わたしは幼かったので、普通にしているだけで、誰かを傷つけることが意図せずある。



わたしは加害者としての自分と被害者としての自分に引き裂かれていて、潔白ではない。



気がつかないだけで、みんな、少しずつそういう側面があるのではないか?と思う。




悲しさに浸ろうとしても、自分にも悪い点があると、引き戻す価値観がある。


だから、回復しにくい。



わたしは加害者としての自分を、許されずに、抱えて生きる覚悟をするべきなんだろう。


被害者のケアは万全ではない。
被害者が加害者のケアをすることを求められることすらある。
許しなさいと迫られるときの底が抜けるような、足の力が抜けるような、絶望とも名前がつけられない感覚を覚えている。

許さないとあなたも前を向けないよ、恨んでいては幸せになれないよ、と言われたときの気持ち。


それでも加害者のことを考えたいと言う気持ちは嘘ではないのだ。
わたしは知りたい。

加害者が、何を考えていたのか知りたい。
そして、彼らが再犯しないように、ケアしてもらいたい。



具体的に言うならば、わたしの左腕の神経をちぎった人の考えを知りたい。首を絞めたときや、殴ったとき、わたしを選んで襲ったときの気持ちを知りたい。



それとも、誰かにそれを研究してもらいたい。
わたしは彼を許さない。許す必要もない。
だけど、彼もまた救われるべきだ。
救われなければまた同じことをするだろう。
彼は何度も同じ犯罪を繰り返していた。



わたしは加害者としての自分を受け入れられたり、許されたりしたいと一瞬思った。
しかし、それは解決にならない。
いや、加害者としての自分を許すのが、被害者である必要もない。


わたしはお金を払って、安全な場所で、告白して、引き裂かれた自分を統合するべきだ。
それは被害者にとっても、安全なやり方だ。



加害者である自分をさらけ出すとき、それは犯罪告白になる。
犯罪には被害者がいる。

被害者は犯罪によっても、またその反省や謝罪自体に再び傷つく。



それを防ぎたいと思う自分も確かにいるのだ。
でも、わたしを傷つけた人の仕組みを解明してほしいとも思うのだ。


被害者としてのわたしは、それを踏まれると思わない。それを甘美な記憶としてや、自分を美化するためのことなら踏まれたと感じる。



被害者としてのわたしは許したくない。
でも知りたい。わたしの被害がなんだったのか、知りたい。
知らなくていいことなのかもしれないけれど。
加害者としてのわたしは、許されることを望まず、加害を抱えていきたい。
そして、加害者にならないように治療を受けたい。

加害者研究の役に立ちたい。


だから、わたしはイミさんの文章に共鳴した。


そして、わたしは反省した。


わたしは罪を抱えて生きなくてはならない。
少なくとも語るときには、被害者を傷つけないように、細心の注意を払うことが、最低限のことだ。

被害者や、弱い立場の人を自分の癒しに利用してはならない。


誰かをもののように扱ってはいけない。
誰かはわたしの自意識を底上げするための存在なんかじゃないから。

それは助け合うことと違うから。



わたしは自分の加害者性に目を背けない。
加害者性はわたしの意図しないところにもあるから、本当に気を付けないといけない。
より良く生きたい。