読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

c71の一日

生活の記録

本当の恋人なら救ってくれるという幻想の醜さ

本当の愛があれば救われると思っているから、自分が救われなかったとき、裏切られた、本当の愛じゃなかったという。



だけど、恋人にも人生や辛さがあるから、なにも裏切りじゃない。


相手の意思や主体性を尊重していたら、そんなことは言えない。


罪を許してくれたら、本当の恋人、愛、だったとしたら、その人の人生はなんだったのだろう。



罪滅ぼしですらない。

許しを与えるだけの機械だ。



それは人をもの扱いすることと同じだ。   


許してくれてありがとうと崇めることと、相手の人生を踏みにじり利用することは両立する。



あなたが許してくれなかったから、不幸だと言葉に出さなくても、告白は相手をいつまでも縛る。



秘密を打ち明けることは相手の負担になる。
秘密の内容を知るまでは、相手も判断できないから、加害の話はプロにするべきだ。



許しが与えられなかったことを、嘆く権利はないのだ。
それが加害の重さだ。



そして、罪の重さを打ち明けること、人をもの扱いすることで、抑圧は解消されない。
解消されたと感じたとしたら、それは抑圧ではなくて、本来与えられる権利のなかった優越を、奪って、最初からの権利のような顔をしたという話になる。