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c71の一日

生活の記録

おっぱい募金ものうりんのポスターもおかしい

女性のおっぱいはすばらしいかもしれないが、おっぱい募金はおかしい。


日本はセクシーに全然寛容じゃない。
エロには寛容だけど。つまり、ヘテロセクシャルの男が消費する「エロ」は寛容でどこでもコンビニでも自慰のおかずは買える。
なんなら、公の場所で女性の身体やその表象を消費した広告でさえある。
のうりんのポスターもそうだけど。


だけど、女性がセクシーな格好をすると「みたくねえ」「いらねえ」と言われたり、いやがらせを受けたりする。特に、若くない女性や、美しくない女性がすると、ひどいことを言われたりされたりする。
それは、男性が当然の権利として、女性の容姿や服装をジャッジできると思っているからだ。ジャッジするどころの話じゃないこともする。
そういう話を、女性たちは知っている。経験上からわかっている。
でも、男性たちは、そういう女性の訴えを「自意識過剰」と言って認めたがらない。


セクシーというジャンルの格好は、単なるジャンルだから、ファッションでセクシーなものを選んだからと言って、男性に消費されたいという意思表示じゃないんだけど、男性は常に消費する気満々だから、消費者の立場から「消費したい」「したくない」「オッケー」「オッケーじゃない」を決めてくれる。ジャッジしてくれる。


だから、みんなセクシーな格好を避ける。避けない女は「ふしだら」「奔放」と言われる。そういうのが嫌だったら、セクシーをあきらめるしかない。
それが抑圧だ。


嫌な思いをしたくなかったらやめろ、というのが抑圧なんだけど、それがわからないで、「日本では自由な格好ができる」という人がいる。
でも、実際にそうじゃないのは、女だったらわかる。男性による嫌がらせを受けやすい服装とそうじゃない服装があるということ。


セクシーは解放、朗らか、自己表現、というイメージがわたしにはあるんだけど、男の人にとっては「おかずとして提供したがってる女の形をした物体」って見えるらしい。


そして、そうそう、日本には、「おっぱい募金」なんて、常軌を逸したものがあるのだった。そして、それは「エロは世界を救う」だなんて、素敵なものみたいに言われることさえあるらしい。なんてことだろう。女性が性サービスを提供しているんだから、どっちかというと、女性が労働の対価としてお金をもらって、それを募金しているみたいな話だと思う。男性は自分がお金を募金しているんだと思っているかもしれないが、実際には、労働をした女性たちが、対価をもらわず、募金しているって話だと思う。男性はサービスを享受しているわけだし。


男性は、募金という善をしたうえで、性サービスを受けるという、二重にいい思いをするわけだ。
実際には、募金をしているのは、キャストだ。男性は募金という名目で報酬を払っている。間接的な募金だ。
キャストが性労働をしてお金をもらって、それから、キャストが募金しているって話だと思う。



抑圧が大きいところでは、自らの「セクシー」を発揮しづらい。巨乳って言葉が普通に使われる国では。巨乳って、男性が女性を評価するときに、特に性的に消費するときに使う言葉だ。
今では女性も使う言葉だけど。
大きい胸、という言葉と、巨乳って言葉は違う。
意味するところが違う。巨乳って表象を使って人を集めるなってことと、大きい胸を持っている人を差別するなって話は全く違うんだけど、わからない人も多いという噂だ。

 

のうりんのポスターが「巨乳差別」って言った人がいるらしい。「女性差別」じゃなくて。女性差別だからやめてほしい、といった人に対して、言った言葉が「巨乳の女性を差別するな」だったらしい。
ちょっと気が遠くなる。


女性が、性的に搾取されるのが嫌だし、搾取を思い起こさせる絵を公的に掲げてほしくない、という話を「大きい胸を持っている人を女が差別する」という話にすり替える男がいるってことだ。それは、つまり、女性の胸を男性が消費するものだと思っているから起きるすり替えだと思う。

女性の胸は、男性のおもちゃじゃない。女性の身体は女性のものだ。その当然の話を前提として共有できていない場面が多すぎる。
そして、その意味を「わかってる」つもりでわかっていない人も。


おっぱい募金も、のうりんのポスターも結局、男性が「女性の胸、人体の一部を公の場で消費していて、その姿を万人に見せつけ、見せつけることができる権力に無自覚だ」ということに集約できる。そして、それが嫌だと女性がいると「フェミの陰謀」「インターネットフェミ」と言ってののしることができるのも、男性の権力の現れだ。
嫌だっていう人がいて、それは、性差別の結果なのだから、是正しないといけないし、それは、国際的にも勧告されているのに、「男性の権利を侵害している」という迫害されているのは「男だ」という風にすり替えられるのも日本の特徴だ。


だから、日本の女は「セクシーな服装を安心してする」ということができない。そして、それなのに「服装は自由なんだから好きにしていいのに、しないのは本当はしたくないから」みたいに、本心から「セクシーな格好をしたくないはず」という風にすり替えられる。そういうのも不自由だ。
実際には身の危険があるからできないのに、自分の決定で、好きな格好をしていないんだ、という話にしてしまう。
それ自体が、抑圧を示しているのに、抑圧があることを、日本の社会は認めたがらない。


女性に対して、性的な抑圧が大きいことと、男性だけが女性の性的な表象を消費できることは、表裏一体だ。でも、そのことを理解できない男性はとても多い。男性は、女性が自らセクシーである、つまり性的な主体だとふるまうことを非常に怖がる。


それは、性的表象が権力問題だからだと直感的にわかっているからだ。


おっぱい募金が世界を救う、とか、のうりんのポスターに代表されるようなことが、日本の萌え文化、世界に誇るべきものとすら言えるのは、男性という性が持っている権力がそれほど大きく、異論を認めないくらいだからだ。おっぱい募金のおかしさが、わからないくらい無自覚に自分たちの権力が当たり前のものだと思っているからだ。



だから、いつまでたっても、ポルノグラフィがコンビニで売られることもなくならないし、性的嫌がらせも痴漢もなくならないし、おっぱい募金もなくならない。それらは、女性の主体性を認めず、それを踏みにじることで実現している権力があるからで、男性たちは権力が好きだ。
男性たちは、ポルノグラフィを見て、自分たちの性行動を学習する。
それでいて、二次元と三次元との区別はついていると言う。だけど、現実の女性が「嫌」という言葉を発すると、前言を撤回して、「嫌」という言葉を発したり、抗議したりする女性を馬鹿にする。二次元と三次元の区別がついていたら、女性の嫌だという気持ちを尊重できるはずだと思う。
でも本当は男性たちは、創作物と現実の区別はついておらず、ポルノグラフィから性行動を学んでいて、女性が嫌がることを行動に移すための敷居は相当低い。女性は嫌がっていても、だんだん受け入れるはずだという幻想を持っているから、いざ、女性が意思表示をしても聞き入れないんだと思う。男性にとって、女性っていうのは、いつでも客体であって、主体であるはずはないってことなのだろう。


追記 日本は性差別ひどくない、という男性も散見されましたが、日本の性差別指数は142か国104位でとても低い。
そこまで性暴力もない、と思っている人もいるかもしれないが、日本の痴漢を他国では強姦としてカウントするし、捜査したり犯人を捜したりするのも、他国では警察の仕事です。日本だとそうじゃないけどね。だからカウントされる量がそもそも違うわけ。
男性という書き方をしましたが、それは、構造上男性が権力を持っている構造だからそういう書き方をしました。
そして、セクシーな格好をしていると外国では娼婦と思われやすいとか強姦される外国よりましだ、という風な人もいましたが、旅行している先だけでも、日本よりおおらかな格好をしている女性たちはとても多かったし、カッコよかったです。日本って性暴力が非常に多い国だし。


外国では○○の格好は売春婦とみなされます、というのもだいたいデマだし、女性と男性を対立させても何も生まないし解決策を生まない、というのも。対立も何も女性差別を行うのって男性だけじゃなくて、みんな日本にいる人は同じように差別しているけど、男性側が権力側にいるって話だから。女性も○○ですー、差別してますー、とかは関係ないから。

セクシーのとらえ方が、「ミニスカートをはく」ということだけでとらえている人がいて、それも貧しいなと思いました。セクシーってミニスカートだけじゃないよ。
c71.hatenablog.com



おっぱい募金ものうりんのポスターもおかしい - c71の一日

英語文脈ではいま逆にセクシーの方がネガティヴに使われているかもしれません。エロティックは官能的という意味でセクシズムを余り含意しない。でもc71さんの趣旨には同意しますよ!

2015/12/07 14:03
b.hatena.ne.jp


なるほど。
ありがとうございます。

c71.hatenablog.com