c71の一日

生活の記録

おっぱい募金とセックスワーカーの存在

おっぱい募金を批判することで「セックスワーカーの存在を批判する必要はないのか」とか「セックスワーカーを批判するな」とか、真逆の意見が出されたように思う。


おっぱい募金を批判することと、セックスワーカーの存在を批判することはまったく違う地平だ。
性サービスを買った人たちが「募金をした」と思っているのが片腹痛いのだ。
そのことと、700人もの人間に胸をもまれた人の痛みを考えると、そういう企画を立てた人は罪だと思う。
そして、700人に胸をもまれたら痛くなるだろうという想像力を持たない人たちがいることも恐ろしい。
自分の意思、というものがどれくらい担保できるのか、会社員なりなんなりをしていたらわかりそうなものだ。


そして、わたしはセックスワーカーを批判する気は毛頭ない。当たり前だ。彼ら彼女らはそれぞれ生き延びるために、いろいろな手段をとっているのだ。それは素晴らしいことだ。ただ、その人たちを搾取し、痛めつける人がいたとしたら、悲しいことだと思う。そして、それは批判するべきだ。搾取する人たちをね。

AVについて、私が語ったことで、「かわいそうな女」扱いされたが、実際には、AVの影響を自分で自覚できていない男性が多いのだと思う。詳細は省くが、同意を得ないセックスから始まるAVは多いと思うよ。あと、愛撫じゃない愛撫をしている男性とかね、ネット上で見当はずれなことをされているとの告白は散見する。

わたしがあれこれいおうが、いうまいが、セックスワーカーは存在する。
それを消すなんてことはできないし、したくない。
搾取する存在がいたら、それは何とかしたほうがいいし、傷つく人がいたら、傷つかないといいと思う。わたしにはそんな力がないから歯がゆく思うのだけど。


わたしはセックスワーカーを批判しない。そんなことを言うのもおこがましいけれど。それはずっと変わりないスタンスだ。金の稼ぎ方はいろいろある。
わたしはセックスワークをして金を稼がないが、それはわたしの選択だし、外部の人間が、「セックスワーカーを裁かない」という意見を出し続けるのには、意義があると信じている。
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