c71の一日

生活の記録

男女差別のない職場

求職活動をしていた時、出産や、結婚でやめないかどうか聞かれることが多かった。

前職ではプログラマだった。
事務と総務と接客のような仕事を振られていて、プログラミングをする時間がコマ切れだった。
気を遣うことを求められたので、ストレスだった。
いろいろあってやめた。


[【SYNODOS】日本の女子教育の課題ははっきりしている/畠山勝太 / 国際教育開発 https://t.co/vXNWcj9u85]
わたしは工学部を出たが、仕事がなかった。受け皿がない。そして、女性が工学を学ぶことも少ない。それらは女性の選択の結果と思われている。わたしが仕事を探したときはそうだった。面接に残っても、女性がする仕事はうちにはないと言われたこともある。


女性向きの仕事って何だろうと思う。


今の職場には、男女差別がない。仕事をもらう時にも、何も聞かれなかった。だから、すがすがしかった。


給料が高い仕事に就きやすい学部を出ても、女性の同期は、男性と同じくらいの給料や待遇の仕事に就けなかった。
成績は女性のほうが良くても。


そういうわけで、仕事にありつけなかったのは、わたしだけじゃなかったと思う。



今は、塾で働いている。数年前はダンピング競争で、安いところが好まれたが、今は口コミ優先。とにかく口コミ。多少高くても、口コミの良いところが選ばれる。
わたしにとっての生き残りは口コミを良くすること、人当たりよく、生徒受けよく、結果を出すことでもたらされる。



わたしには欠落がある。勉強はそれをある程度補ってくれた。お金があれば、ある程度のことは補える。
教育業界はブラックだと言われるし、実際、わたしもここのところ三週間ほど休みがなかったけれど、男女差別がないというのはそれだけで、体が楽だ。
男女差別があると、自分の契約以外の仕事をしないといけないからだ。そして、わたしは気が利かない。女で気が利かないというのは、致命的なことなので、とてもつらい。


でも、今は、そうじゃない。



成績は、ある程度お金で買える。わたしは塾に行かなかった。今はそういう時代じゃない。わたしは自分で身に着けた技術を売って、お金にしている。


女性は仕事に選択肢がない。女といえば事務と思っている人は多い。今の子供たちは事務職がないことを知っているので、手に職をつけようとする。手に職をつけるためには勉強が手っ取り早い。



工学部や法学部を出ても、今もわたしのころとあまり現実は変わらないようだ。今は少し就職もいいようだけれど。


わたしは高校生には数学と国語を教えている。特に国語は需要が高い。どんな試験にも国語はいるからだ。そして、最も成績が上がりやすい科目だ。誰も勉強してこないから、教えるとすぐ成績が伸びる。だから、喜ばれる。喜ばれると需要が発生する。わたしにお金が来る。



いろいろ言われているけれど、勉強することが一番お金に結びつきやすい。
もともと体力があったり、器用だったり、頭が良かったりする人は、勉強をしなくてもお金を稼げる。
だけど、センスがない人間には勉強をすることが手っ取り早いと思う。力をつける道筋が確立されているから、参考書を読めば、勉強の仕方が書いてある。実際塾に行かなくても、自律できれば、参考書と問題集で事足りる。


塾業界も様変わりして、集団塾は、はやらなくなった。個別のほうが結果が出るのが早い。対価の高い塾は、付加価値をつける。それは、理念だ。子供をよりよく生きさせるための情熱を経営者が持っていると、雇われる側もモチベーションが上がる。それに、わたしももし子供がいて塾に高いお金を払って通わせるならば、理念があるところのほうがいいと思うだろう。


女性教師は需要がある。女性のほうが、いいと思う子どもも多いからだ。
わたしは数学が教えられるので、それが売りになる。
女性だということが不利に働かない。
実力はいろいろな方法で測られるけれど、ちゃんとお金になる。
人当たりの良さ、生徒受け、親御さんへの対処、成績、それらを総合してお金が入る。
わかりやすい。
安定はしないけれど、いろいろな仕事を総合的にしていたころよりも、ずっとずっと気が楽だ。
前の会社も研修が充実していて、いい会社だったけれど、合わなかった。


わたしが二十年以上かけて得た勉強に関する技術は高く売れる。
富裕層の子供たちが、その成果を受け取って、巣立っていく。
そのことに葛藤がないわけではないけれど、目の前にいる一人の子供を助けられるのだから、いい仕事だと思う。


でも、本当は、もし、塾講師になる以外に、能力が生かせたら、それはそれでよかったと思う。
というか、わたしは、今のままでいいし、気に入っているけれど、同じような経歴の人が、女性が、普通に評価されて、仕事を得ることができたら一番だと思う。


わたしは、恵まれていて、勉強をする環境に困らなかった。他のことの経験は少ないけれど、でも、それで今は落ち着いて働いているのだから、本当に幸運だった。わたしが頑張ったことよりも、環境が用意されていたことの幸運のほうが大きい。



学問の中には、男女差別がないと信じていた。
でも、そうじゃなかった。
そういうことを知った。女性研究者の割合は、日本ではまだまだ少ない。高学歴の女性を利用して生かす場所も少ない。


わたしは、天に届くような学問の世界にいられなかった。それは残念なことだ。
今の生活が気に入っているけれど、今の子供たちの世代では、違う選択が用意されていることを望んでいる。
わたしは、男女差別のない職場が気に入っている。能力が発揮できる。評価される。そういうのは楽しい。

差別のない職場を求めたら、安定しない職場が残った。
安定している職場は、差別されていない人が持って行ってしまうからだろう。わたしは安定よりも、差別されないことのほうがずっとうれしい。


仕事はハードだけれど、毎日外に出て働く習慣ができたので、心も軽くなった。
仕事をしている間は、苦しいことも忘れられる。仕事は救いだ。