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c71の一日

生活の記録

屑だとののしられたら縁を切らないといけない

支配と被支配のパターンだ。しばらくこのテーマで書きたい。

わたしは言葉のパターンを見ることが好きな人間だ。
パターンや構造が好きだ。
だから、言葉から見た人間関係のパターンについてしばらくテーマを持ちたい。


人をののしることで、人を選別し、自分の都合のよい道具として扱えるか試す人間がいる。
屑とののしられて素直に受け止める人間がいる。


そこで、支配がはじまる。

屑だという言葉から「親密」になろうとする人間がいる。その人間は、屑、という言葉を使って服従する人間を収集するのだ。




屑だとののしられたら、たとえ、自分自身が自分のことを屑だと思っていても、その人とは縁を切らないといけない。


「屑」というメッセージには多層的な意味がある。


「屑と言っても離れないかどうか」の試し行為、「屑」と言って自分が上位に立って支配できるかどうか、相手の自尊心の高さの見積もり。どれも支配のパターンだ。


反論してはいけない。相手に報酬を与えることになるから。


共依存は、自分を殺してでも、争い事を避けたいという欲から始まる。
その欲を利用するのが支配だ。


自分を殺すと、一見いい事しか起きない。争い事もない、相手の要求を満たせるからうれしい。


でも、そうしていると、自分の境界線を侵されることを許し続けるので、自分が「嫌」「怒る」「悲しい」「うれしい」「楽しい」「生きている」感覚がどんどん失われてしまう。



それに慣れてしまうと、回復するのが困難だ。回復するためには、支配する人間から縁を切って、そして、新たな支配者から身を守らないといけない。
支配者は常に狩りをしている。
満足していない人間は、甘い言葉ですり寄ってくる。
安定した人間は急激に距離を詰めない。
満足しているので探す必要がないからだ。



だから、表面上の「屑」という言葉を聞いて「改めることで自分がよりよい人間になる」という言う誘惑に駆られても、縁を切らなくてはいけない。なんなら、縁を切っても、自分を良くすることはできるのだから、いったん保留にしておいて、自分が具体的にどこを治すと幸せになるのか考えればいいだろう。