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c71の一日

生活の記録

心を殺すといいように思える

心を殺すといいように思える。
相手の要望を満たせるので、充実感はあるし、人の役に立てている気もするし、人と争わなくて済む。
自信がなかったら、人に引っ張っていってもらうことで、「正解」に素早くたどり着ける気もする。
自分には正解がないから。


あなたが自由になるようにお膳立てしてあげる、その代わりに……、ということもあるようだ。一見どちらにもいいことのように思える。
でも、「名前」というのは何よりも大事だ。人は名前のために生きているようなものだ。



最終的に「名前」を書いた人が責任を取る。
正解はだれも持っていないから、引っ張っていかれた先が地獄だってこともありうる。たとえば、その人が善意だとしても自分にとっては地獄ってことはよくある。結婚とかもそうだよね。幸せにするからと言って結婚したところで自分の幸せとは違っていたとかね。


心を殺すとメリットしかないように見える時は要注意だ。
ほんとうは、生きていたら軋轢があってうまくいかない。心を殺すとそれがない。うまく生きているように見える。
だけど、その間は感情を動かしていないから、生きている実感がなくなってしまう。
生きている実感がなくなると死ぬ。死んでも構わないって人もいるだろうけど、世の中にはきれいな美しい、元気の出るものもある。

わたしは今日はデブで醜い自分に落ち込んで死にたいと思ったけど、やせたらいいんだと思いなおした。思いなすことは強さだけどそれは、たぶん、石垣島を原付で一周した幸せの貯金があるからだと思う。あれより幸せなことはなかなかないもの。天上の幸せを感じた思いだった。


心を殺していると、楽しいこともやってこない。やってきても、膜を通してみたいで、実感がない。
実感は何よりも大事だ。今まで行ってきたように危険から身を守るのはもちろんのこと、「生きる動機」にもなるんだから、本当に大事だ。
死にたくなるのは貯金が枯渇しているから、どこかに行って、人と離れるのがいい。誰があなたを搾取しているのかじっとよく心の中を見るのだ。
あなたは誰のために心を殺しているの?

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