c71の一日

生活の記録

心が私をだますから、体のメンテナンスをする

心はわたしをだます、振り回す。
状況は何も変わらないのに、新しい情報が入ってきたら、わたしを「悲しませたり」「苦しませたり」する。

何も変わっていないのに。


気分もそうだ。
気分も私をだます。何も心配いらないのに、心配させて、不安にさせて、死にたくさせる。
他の人と自分を比べて、自分をダメだと思わせる。



どんな自分でも愛したい。

その気持ちを教えてもらったのが今日だけれど、そのためには、「嫌な自分」「嫌だから頑張ってきた自分」と話し合わないといけない。
嫌な自分にならないためにそれを原動力にして、頑張ってた自分は、「どんな自分でも愛したい」と言われると、今までの努力が無駄になったみたいで悲鳴を上げるのだ。


幸せな気持ちを保ちたいなら、心や気分に振り回されないことだ。自分の中身が幸せを感じるためには、感情や心や気分はいらない。
感情や気分や心は、自分対外界で、外界から自分をガードするための役に立つけれど、自分の幸せには関係しない。


現実的な判断を曇らせるのも気持ちや心だ。



どんな自分を愛しても、誰にも迷惑はかけないし、それどころか、生活の楽しさが上がるのにできないのは、自分の中に「他人」がいて、それが常に自分をジャッジしているからなんだろう。



嫌な気持ちを振り払うために、体のメンテナンスを始めた。
今まではそんな余裕もなかったのだけど、どうして余裕がなかったのかもわからないのだけど、毎日お風呂に二回入って、マッサージして、ストレッチして、スクワットをする。食べ過ぎないようにする。食べたくなったら、豆を食べたり、ゼロカロリーのゼリーを食べる。ぜいたくみたいな気もするけれど、ぜいたくしてもいいのだ。
おなかを少し減らした状態でいることになれたら、体が、楽になるんじゃないかという予感がある。
悲痛な気持ちで痩せたいってどうしても思ってしまうのだけど、それじゃ痩せないんだと思う。
ひとから、太ってるとか、そういうことを言われることが嫌だ、って思う。でも、だからやせるんじゃなくて、自分が、軽やかに、好きな服を着たいって思うからやせたいって思えたらいいんだと思う。
ネガティブな動機は、エネルギーを減らしてしまうから、ダイエットを頑張らせない。
邪魔する。
こういたいって、わたしが願うことは叶う。
何かを恐れて怖がって、それを避けるための行動はうまくいかない。
いつでも虎の前に戻ってきてしまう。

ここのところ毎日スクワットを三百回しているのだけど、自分の身体が何と重い事だろうと思う。
もっと軽くしたいと思う。
スクワットをしていると、集中力も戻り、悲観的な気持ちも薄れて、汗をかくことが気持ちがいいとしか思えなくなる。
自分の身体の感覚だけに気を取られる状態ってすごく良くて、自分を取り戻しているような気がする。
この自分っていうのは普通の意味の自分じゃなくて、他人とのかかわりで折衝するタイプの自分じゃなくて、中に隠れている自分のこと。その自分にアクセスできているような気がする。そして、その人と友好的な関係を築けている気がする。


最初は50回から始めたけれど、午前中に300回して、午後に200回して、結局600回できるようになった。
午前中に300達成するとかなりうれしいし、肩こりやむくみや腰痛にもいいような気がする。
スクワットで痩せるとは思っていないけれど、楽しいし、仕事中に眠くならないし、いいことがたくさんある。
スクワットをすると、そんなにたくさん食べたいって気持ちが収まる。
飢餓感というか、自分を埋めるための自傷行為としての過食。
スクワットが自傷行為でも今までの中で一番健康的だからいいと思う。
ひざに負担をかけないように気を付けてしたい。
昨日は下痢になって、一晩眠れなかった。でも今日は眠れたし仕事も行けた。
コンビニを休む勇気も出た。
こういう風に少しでもうれしいことがあって、うれしいことをそのまま受け入れられるところまで来た。
あと、もうちょっと。
良いことがなくても、ダメでも、自分を肯定して愛したい。
わたしを愛せるのはわたしだけだから。


スクワットをすると、気分を支配できるようになる。いろいろな雑念や反応を、減らせるので、本当の自分の望みの形を、次第にわかっていくことができるんじゃないかと思う。
今はまだわからないのだけど。