c71の一日

生活の記録

子宮内膜症とシミとピル

わたしは生理痛が重かった。
学校で四つん這いで歩いたことがあるくらいだ。
歩けなくなるくらいだったので、冬に倒れて救急車も呼ばれた。


そこで、母親に殴られたのは別の話だけど、当時の中学生だったわたしは保健室でも、イブを一錠もらってそれでおしまい、って感じだった。
死ぬかもしれんと思った。


まだ、中学生だから「内診」はかわいそう、と言われていた。
内科の先生に相談したら「エコー」を取ってくれて、「血の海で癒着しているからピル飲んでみる?」と言われた。
血栓の危険度とか、心臓とか、当時から飲んでいた薬で、肝臓がまずいのとかクリアしてから飲んだ。


数年後、生理痛は死ぬほど重いから、気絶しても痛いというところから、「薬を飲むと効く」くらいになった。

そうしたら、シミがすごく出た。
死ぬよりは大したことじゃなかったけど、周りの人にいろいろ言われるのがつらかった。


特に母親は心が広いから産婦人科に通わせてあげているっていう態度だったし、いろいろなことを陰で言われていたのはわかった。
ちょっと直射日光に当たるとすぐ残ったし、夏場、薄着だと紫外線に反応して、服に隠れているところにもシミができた。


けっこう、絶望した。白い肌がいいことだと思っていたから、コンプレックスになった。
女の人が一番いろいろ言ってきた。
わたしのことを何も知らないのに。

ピルを飲んでいることを公言していたら、生でやらせてほしいという人もいたし、そういうことじゃないんだけどな、性病もあるし、と思って戸惑った。


わたしは普通に服薬の話をしていたつもりなんだけど、それから少しずつ注意深くなった。
そのころ、ホルモンバランスを整えるために、母乳が出る薬も飲んでいた。
胃腸薬なんだけど副作用でホルモンバランスが女性側に傾くやつ。
それで、副作用を使って治療していたんだけど、母乳出るのは大変だった。
濡れるし。ショックだったし。


定期的に病院に行ってピルをもらうのって、けっこう大変で、遠い病院だったから、余計大変だった。
ピルはそこまで厳密に飲まなくてもある程度融通効くとか、その他のことも知った。


子宮内膜症は、数年後検査したら「ほんとにそうだったの?」と言われるくらい改善した。
シミが残ったがシミは痛くない。

だから、戦った痕なんだけど、それを悪く言う人はいるんだなーと思った。
食生活が悪いとか、何か悪いことをしたから、シミになるんだと思って、それを言ってくる人は善意の人で怖かった。
悪いことをしたから病気になる、病気になるようなことをしていたから、病気になるって思っている人はいっぱいいるんだなと思った。
このころから、人と会話するのが怖くなる。


当時子供だったので、情報がなく、心無いことも言われた。
産婦人科に行くところを見られた暁には、面と向かって言われた言葉もある。



ホルモンバランスが崩れていたので、情緒もおかしかった。
おかしいから「おかしい子」として見られた。
でも、そんなことも、当時はよくわからなかった。
安定した状態を知らなかった。
だから、家の不始末がわたしのせいだと言われることも多かった。
外の起きていたことも、わたしのせいだった。

わたしが、精神科に通うのはずっとあと。