c71の一日

生活の記録

告知されてからのカミングアウト

告知されたのが、別件の入院でのことだったので、「発達障害」が何なのかも知らなかったし、それがどんな風に嫌われているとか社会的に評価されているのか知らなかった。


だから、退院してからは比較的オープンだったと思う。


仲のいいひとにはあっさりカミングアウトした。別になんという考えもなく。付き合いの長い人だったせいか、わたしのエキセントリックさに慣れていたせいか、それとも発達障害のことを何も知らなかったせいか「そうなんだー」で終わった。
これはラッキーなことだと言えよう。


家族に関してはアンラッキーで、最終的には「わかろうとしてあげているのに」というお言葉をもらい、親戚にはさらにアンラッキーで、暴れれると思われているのか、あらゆる事に呼ばれなくなった。わたしが行きたくなくなったせいもあるし、「行かない」「精神疾患が悪化するから」と泣きながら訴えたせいもある。


わかってあげようとしてるのに、にはすべてが現れていて「本来しなくていい努力をしているのだから感謝されたいくらいだ」との意味だと思うんだけど、(障害特有の抽出してからの言いがかりかもしれぬ)、「わかる」ために負担感があるというか、「してあげてる」と思っちゃう人は一定数いるのだと思う。心の叫びを感じた。「いやだ」っていう、向こうの。


だから、カミングアウトは、慎重にされるべきなんだと思う。


障害って単語が重いって話はここで読んだ。

t.co

発達障害の内容があまり知られていないということと、個人により困り感がそれぞれ違うから、発達障害だから困ることがある、って説明より、「私は困っていることがある、それは」といういい方にするほうがいいのだろうと思う。


実際職場には、ばれるまでは「わたしは人とコミュニケーションとるのが苦手で空気壊しちゃうんですよねー。すみません」「事務処理苦手なんで、間違えてすみません」とかは言っている。

最初は頑張ればできると思われていたので冷たくされたこともあったけど、この人は本当にできないんだということが伝わってきたらしく、でもそれは、働いてからずっと同じようにしていて、悪気がないことの信頼をもらったからだと思うんだけど「苦手なんだよね、こっちでやっとくから、もういいよ笑」くらいになった。


マイナンバーのせいでばれるのは時間の問題なんだけど、「発達障害」で行くか、「躁鬱」で行くか、まだちょっと悩む。言ったら、楽になるんだけど、それはわたしが楽になるだけで、上司は悩むだろうなと思うと言いにくい。
今のわたしと変わりないのだし、今のわたしとかかわっているのが、生徒さんと上司だから、言ったところで相手の負担感は増えるだけだから。
今のわたしに対応してくれているだけで、わたしは困ってないし。ただ、わたしの奇行で腑に落ちる点は出るだろうとは思うんだけど。


友達にはカミングアウトして、反応が悪かったら、切っちゃうって選択肢があるからあまり緊張しない。
だって、もともと、ひととのかかわりや社会性に問題があって、やっぱりイチゼロの癖があるからなんだろうけど、もういらないって思っちゃうんだよね。


毒舌だとか、空気読まないキャラで押し通していて、何にも気後れしないで生きていたから、相手も「この人はこういう人だ」ってイメージで固まっているから、今更「発達障害だからこうだったの許して」なんて言われたくないだろうし。別に許されるために言うんじゃなくて、配慮してもらうために言うんだけど、もうとっくに配慮はされているんだしな!!!!!って思う。



差別意識の塊の人にはそもそも言いたい気持ちにならないし、となると、伝えて意味があるのは、医療関係と、福祉関係の人だけなんだよなと思う。


困り感をサポートしてくれる用意のある人になら言ってもいいけど、言って得られることと、リスクを勘案するとクローゼットにとじこもってょうがいいみたい。

でも、こうやって、オープンにできる場がネットにあって、ネットで知り合った人は、わたしの弱点をすでにすべて知っている、それから友達になるってルートは結構気に入っている。


わたしがこうしてできることも、できないことも、あらかじめ知っていてくれているから、話が早い。
ネットでである人には危険な人もいるけれど、それで失敗もしたけど、いい出会いもあってずっと続いている友達もいるし、現実での友達もこのブログを読んでいる人が少数ながらいて、それもまたよし、と思う。


カミングアウトするかどうかよりも、自己表現できるかどうか、自己表現を受け入れられる場を作れるかどうか、そこからつながる人がいるかどうかで、ライフオブクオリティはだいぶ変わる気がするよ。


普通の間柄でも全部言うわけじゃないように、しばらくわたしの障害は、全部言わなくてもいいかな、それで今までの友情もできていて、配慮もしてもらっていたし、と思うので、配慮してくれる友達、そして、わたしからあげられる何かをわたしがいつも持っていることが大事なんだと思う。


ギブ&テイク。
それが成り立っていたら、友情は続くし、そのバランスがなくなったり、価値観が合わなくなったら疎遠になるのも同じだと思う。

わたしは言語能力が高いからしゃべるのには苦労しないので、そこでコミュニケーション能力の不足、つまり相手の表情の変化を見たり、シーンの変化に合せて適切なことを言ったり、ってことは苦手だけど、説明することで何とか補えている気もするし、そもそも「困っているので助けてください」ってことができるので、ラッキーだったと思う。ラッキーな部分が凸凹の凸の部分だったというか。


告知されてからの続き、って長いから、自分で受容するための期間も長い。
ネットでは知らない人も、批判的な人も、攻撃的な人もいるから、すべてをさらけ出すのは危険なことなのかもしれないけど、でもまあわたしにはいいことです。

ネットで練習して、現実で生かせるから、しばらくこうしていたい。


そういえば触感にも敏感で、今年ようやくずっと慣れようとしていた毛布の感触に慣れて、使えるようになったよ。それも三年か四年かかった。買ってから。

続き
c71.hatenablog.com


ベシーも感想をもらったので、よろしくね!
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