c71の一日

生活の記録

最悪な子供虐待、残酷な断罪

頭にきたので書く

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これってどういうことなの?
貞操観念があるかどうか、それが問題なの?
貞操観念がそれほど大事なことなのか?
性犯罪に遭うと、貞操観念がないとみなされるのか、貞操観念がないと、被害者を非難してもいいと思い込んでいるのか両方か。


もちろん、貞操観念があろうとなかろうと、「自己決定権」は侵されるべきじゃない。大人だろうと子供だろうと。


そして、被害者は子供なのだ。
子供に対して貞操観念という言葉を使うおぞましさを感じる。


貞操観念なんて、「男の都合」「処女幻想」の産物でしかない。それは、女性の地位を低くする考え方だ。
どうして地位を低くするかというと、女性の自分の、感覚や、生き方を邪魔するものだからだ。
つまり、これは差別だ。



それは、自己決定権を侵すという意味で、性犯罪者がしたことと同じだ。

子供の自己決定権を、性犯罪者も犯した。
そして、ツイートしている人は、言葉で、被害者の自己決定権を侵した。
純潔であるかどうかは、自分で選ぶことだ。
そして、自分で選べるまで、守るのが大人の役割だ。


自分の身体が自分のものであるという感覚を持ち続けるために、子供も大人の女も守られなくてはならない。


中学生は子供だから、それに対して、「連れ去り」「性的虐待を行う」のは犯罪だ。
それなのに、被害者に対して、「女だ」「子供じゃない」「何が起こるかわかってたはず」「男がほしかったのか」「金がほしかったのか」
と言い募る大人の男。


犯罪者に対しては「馬鹿な男」それだけ。


子どもは見えてないことが多いから、性衝動が強く、危険なこともしてしまう。
だから、前もって、社会でそれを防がないといけない。
金がほしかったのか?と侮蔑することは何も解決にならない。


それなのに、他のツイートで「注意喚起」と言い募っている。


なんて馬鹿な話なんだろう。
性衝動の強い子供を、危険なことがわからない子供を、守る仕組みを作る側である大人が、被害者を断罪するなんて。
たくさんの人が言っているが、二次加害だ。


きっかけがなんであれ、きっかけを自分で作ったのであれ、一線を踏み越えたのは犯罪者だ。
犯罪者は、子どもだと分かってからやめておくことだってできた。


でもそれは「馬鹿」なだけ。


そして、中学生は「女だ」と言われる。



この女の使い方にも、わたしには文句がある。
わたしには性衝動もあるしお金がほしい気持ちもある。


子どもにだってあるだろう。でも、子どもには大人相手にそれをさせてはいけない、そのために社会があるんだ。


社会の意義を踏みにじり、社会の構成員である大人の立場を捨て去って、自分や家族の言うことを「名言」と言ってのける厚顔さ。


被害者を断罪して得るものは何もない。


守られなかった被害者の落ち度をあげつらえば、その被害者に起きたことは、「罪」を犯罪者に「罰せられた」ということなのか。
自業自得ということなのか。中学一年生に向けて使う気持ちなのかそれは。



わたしは子供のころ性衝動が強かった。周りを見てもそういう子供はいた。怖いものがなかった。
怖いものに触れていなかったから。


怖いものに触れなくていいんだよ。子供のうちは。
性被害に遭うと、子供でさえ、「もう子供じゃない、女だから守られなくていい」という意味合いのことを言われる残酷さ。
そもそも、大人の女だって守られないといけない。


あらゆる人が、犯罪から守られないといけない。
それは、性犯罪者の性欲や支配欲、「若い女」に対する妄想などを「守る」、なんてことと次元が違う。
後者を守りたがっている人が多いのだと思い知らされた。


後者を守りたがっていると感じたのは、「犯罪者」が「馬鹿」の一言で済まされている代わりに、被害者に対しての、罵詈雑言が延々と続くからだ。


だから、わたしは頭にきてる。



言葉で人は殺せる。
言葉で虐待はできる。社会的な虐待を、「制裁」のつもりもなくしている。
ただ、性犯罪の被害を受けただけでも残酷なのに、社会的虐待を背負う子供、暴言を吐かれる子供が、確実に今日一人いたのだ。

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