c71の一日

生活の記録

世界自閉症啓発デーに向けて  #自閉症啓発コラボ2016 #心遣いありがとう

nanaio.hatenablog.com

わたしは自閉症スペクトラムです。


今年に入ってから、職場にカミングアウトしました。カミングアウトするかどうかについては、ずいぶん悩みましたが、黙っていることよりも、話すことのメリットが大きいと判断し、決断しました。
わたしの特性をわかっていただいたほうが、お互い仕事がしやすいと思いました。
特別に配慮してほしいというわけではないのですが、繰り返しやすいミスの原因を話すことで、上司の困惑を減らせるのではないかと思ったのです。

今一番困っていることは、仕事中に眠くなってしまうことです。
たくさんの薬を飲んでいるので、眠くなるのです。
副作用よりも、作用のほうが健康に良いので飲んでいるので、やめることはできません。
薬を減らすことはできないの?と、人に言われたこともありましたが、それは、絶対にできません。
わたしは、病気だからです。
病気は、薬よりも健康に悪いので、健康を良くするために、薬を飲みます。
薬については、誤解があると思います。
薬を飲むからダメなんだ、とか、薬をやめられないの?とか言われますが、薬でいろいろな症状を抑えています。

気分の上下、過敏さなどを抑えているから、なんとか、生活ができます。


カミングアウトすることで、解雇されることも覚悟しましたが、結果的に、首はつながり、障害者雇用となりました。



会社としては、法的に障害者を雇用しないといけないそうで、わたしを雇い続けるメリットがあるようです。
今の会社で五年目です。


診断を受けてからも五年経ちました。


今まで、わからなかった自分のことが分かっていく過程は、なかなか過酷なものでした。
家族のサポートがほとんど期待できなかったので、様々な本を読みました。


PTSD、躁うつ病があるので、子供のころのように本が読めません。
子供のころは、生きることがつらく、本の世界に逃避していました。


わたしがラッキーだったのは、勉強が得意だったことです。

そのため、「へん」なところがたくさんあったのですが、なんとか、学校生活は全うできました。
しかし、「会社」に入ってからは、今までのパターンが通じないことが多く、マルチタスクができにくいことや、気分の上下、疲れやすさに悩まされました。


もともとはプログラマーだったのですが、会社という世界の中で人間関係を築くのが難しかったです。
特に、わたしは女性なので、職場でさまざまな気遣いや、総務や庶務的な役割も求められました。
一回仕事であるプログラムに入って、それから、お茶出しや、宅急便の受け取りなどで離席すること、電話をとることなどが、重い負担でした。
上司の言うことが変わることや、上司と先輩の言うことが違うことにも混乱しました。



あるきっかけがあって、入院することになり、そこで、自閉症スペクトラムの診断がされました。
それから、会社を辞め、今の塾で働くことになりました。




塾講師同士はほとんど関わり合いを持たないで働けるので、そこで少しずつ実績を固めていきました。本当に五年かけて、すべての講師の方と少しずつ雑談することも相談できることもできるようになりました。


利害関係のある大人の人間関係が苦手でした。
人の顔色を理解しても、どうリアクションをとれば「正解」なのか、わからなかったので、常に不安でした。でも、五年もかけたことで、だんだん相手の言ってほしがっていることも察することができるようになりました。すべてのパターンを覚えたのです。


わたしはすべてのパターンを分岐で考えて、そのうえで人と接します。


人と会うと、さまざまな情報が入ってきます。その中でパターンを覚えます。覚えて、過去のデータから、最適解を探しながら話します。
だから、疲れます。


人の表情、声、トーン、ムード、しぐさ、見るべきところはたくさんあります。
人の目を見ることは情報量が多すぎるので難しく感じます。


最初は、ほかの先生とのトラブルもありましたが、今は、あまり起きません。お互いのキャラクターを理解しあっているからなのだと思います。



学校生活の困難は、それはそれでたいへんでしたが、決まった時間に必ず行かないといけない仕事の世界は、わたしにとってもっと大変でした。



実力がすべての世界に入って、得意な勉強を生かして生活できて、安定してきました。収入も持てるようになりました。
わたしは、一対一なら、比較的相手のことを察することができます。でも、すべての五感をフル回転するのでとても疲れます。
疲れやすいのはそういうわけなのだと診断されてからは納得がいっているので、楽になりました。
多数と一緒にいると、それぞれの役割や、思惑を考えるのに、とても力がいるので、緊張して、ぐったりします。



音やにおいや触感に敏感なので、着る服も選びます。
社会的にふさわしい服装がわからなくて、注意を受けたこともありました。
そのときには、正直に、「わたしにはわからないので、教えてください」と上司に頼みました。
上司とは、なるべく正直に困っていることやしたいことを話すようにしてきました。そうして、信頼関係を築けてきたのだと思います。



家族との葛藤もあり、結果的に、「会うと動悸がする」と言われて、離れることになりましたが、そのほかの人間関係には恵まれています。
障害者手帳を利用して、ヘルパーさんを頼み、生活の基盤が安定した結果、健康状態も良くなりました。


片づけをするために、ものを置く場所を決めることや、洗濯、掃除、食事作りなどの家事が難しかったのです。
技術的には可能なのですが、継続的に維持することが苦手で、それについては苦労しました。


今は、週二回来てもらっているので、それほど家も散らかりませんし、健康的な食事も作ってもらえます。



異性との関係も苦労しました。体を求められても、断ることを知らずに、すぐ応じてしまうことによるトラブルもありました。今は主体的に選ぶことを覚えたので、だいぶトラブルが減りました。


人と、わたしは違うということを知ったことで、ずいぶん楽になりました。
今までは漠然と違うと思ってはいても、「自意識過剰だから」となんとか押し込めようとしていたのが、「違うから違うのだ」と思えるようになり、自分自身を受容できつつあります。


わたしには、できないこともありますが、できることもあります。
文章を書くこと、生徒に勉強を教えること、話すこと、説明することができます。
それは、わたしの障害と表裏一体の能力です。


障害があるからできないということではなく、障害とくっついている能力、普通に生きていたら生きづらいだけだった能力が仕事に反映されるのはうれしいことです。



そういう人はたくさんいると思います。なじめないところがあっても、それを活用できる場に行きさえすれば、生き生きと暮らせる人。


それは、障害がある人、ない人に関係なく、存在する場所なのだと思います。


そのために、世界は多様であることが必要です。
世界が多様であるから、わたしは生きられるのだと思います。


わたしは、わたし。欠点もひっくり返れば、美点になることもあります。
自分のできないこと、できること、価値観を変えたら、角度を変えたら、何か生かせるのではないかと常に考え続けること。


そういう風に、わたしは生きてきました。
これからもそうするつもりです。


自閉症スペクトラムを診断されたときの葛藤について書いた本を先日出しました。
よかったら読んでください。

自閉症スペクトラム戦記

自閉症スペクトラム戦記

このブログとのコラボ記事でした。
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