c71の一日

生活の記録

男死ね

強姦の話題を見た。被災地でのことみたいだ。


強姦するのはだいたい男だ。そういう男はちんこ切られる刑に処されたほうがいい。


わたしも今まで生きてきて、性犯罪に三回あった。
痴漢も入れたらもっといく。


変質者に襲われて、首を絞められ口をふさがれ、殴られ、左腕を引っ張られて、左腕の神経を切断された。


それでも、刑法では、「検察」「裁判所」「被告」の三方しか関われないので、被害者のわたしの蚊帳の外だった。


その後、判断力を失って、ほかの男に誘拐され軟禁されて、リスパダールをたくさん飲まされ、ほかの薬も飲まされて、死にかかった。ドアのカギは開けられたが、逃げられなかった。むしろ、相手が喜ぶことをしていた。そういうものらしい。そいつは、今も無罪だ。刑法には関係なかった。


逃げた後も、脅迫されている。



こういう経験をすると、冷静に男にも素晴らしい人がいるとは思いにくくて、「男死ね」と思う。
こういう犯罪をするのはだいたい男だからだ。
男には何か欠けているんじゃないのかと思う。



法律を作るのも運用するのも今の社会だと男ばかりなので、男に対してどうにも甘くなる。


日本の性犯罪が少ない、というのは、体感では嘘だ。性犯罪に関して、暗数がかなりあるというのも、議論されてはいる。
でも、「統計」「データ」が好きな男たちは、こういう文章を読むと「データには低いと出ている」という。



統計やデータじゃなくて、被害者に寄り添うという発想がない。
証拠がなければ訴えることもできない。
人の尊厳を削る犯罪であっても、裁くための仕組みがない。
性犯罪は、犯罪として認められない。そういうことがほとんどだった。


肉体的に損壊しなくては、穴に棒を突っ込まなければ、相手に対して、合意ととれる行動をしたら、どんな状況でも、相手は無罪になる。



そして、仕組み上、被害者は声をあげても、裁く法律がないので、犯罪者たちは「犯罪者」とも言われず、野放しにされている。


個人個人の男に死んでほしいわけじゃないよ。でも、わたしは集合としての抽象的な存在としての男に対して、死ね、と思う。


被災地で、強姦されても、声をあげられないだろう。
被災地で、生理用ナプキンが足りなくても、いまだに「生理は一日で終わる」「性的なもの、卑猥なもの」と思っている男がいる。
ピル飲んでも、生理は止まらねーよ。それに、副作用があって飲めない人もいる。わたしがそうだ。
被災地で、女にだけおさんどんやらせるんじゃねーよ。男も、料理も掃除もできるだろ。
リーダーに男ばかりなるんじゃねーよ。ふざけんな。
学べよ。

人類の半分は女だ。


わからないなら、男は死ね。