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c71の一日

生活の記録

コントロールと境界線

わたしのお母さんは、自分の拡張パーツのようにわたしを扱った。
コントロールした。
いつもべったりしていた。


かといって、病気になったら病院に連れて行ってくれたわけじゃない。それは、自分のコントロールできないことだから、自分の意識から外したかったんだろう。

わたしが輝かしい時にはすべて自分の手柄にして、わたしが失敗したことは、わたしのせいだった。


そうやって、わたしはエネルギーを吸い取られていた。


何をしても、お母さんの手柄。自分の一部だから何をしてもいい。自分の一部だから、人からうらやましがられるような学校には行ってほしい。

そういう人だった。


それと同じことは、男女の関係でも起きる。男性は、自分のコントロール支配下に女性を置く。置きたがる。


自分との境界線がないものと信じているから、自分の心地よいようにふるまってくれるように要求する。

「笑って」「聞いて」「やらせて」そういう風に言う。



女には難しい話は分からない、理屈の通った話はできない、そう言いながら、愚痴を言う。女は感情的だから、と言いながら、感情を垂れ流す。適切じゃない形で。


女はそれをいやす役割だと彼らは信じている。境界線を犯していることに気付かない。


女には女の感情がある。その表出がある。それをコントロールする。それは、境界線を侵す行為であり、コントロールだ。



親が子供にもすることを、社会全体で、男が女にもする。
女は生きるためにそれに適応する。そして、適応障害を起こす。
自分の人生を奪われる。


考えられなくなって、自分の人生を主体的に生きるために計画を立てにくくなる。


感情のコントロールをされると、主体的に生きることを忘れるしか適応するすべがなくなってしまって、自分のために何かすることを忘れるしかなくなるのだ。


機嫌を取ることで、生き延びようとしてしまう。


でも、もう、そんなことはやめにしたい。


わたしはお母さんから離れた。
だから、社会からの要請からも、離れることができるだろう。



境界線を侵すやり方にはいろいろな方法がある。それもどれも巧妙な形でやってくる。



何か違和感を感じたら、自分が情緒不安定になっていると感じたっら、それはあなたのせいじゃない。あなたが弱いせいじゃない。搾取されて、エネルギーを奪い取られているからだ。



子供が親から逃げるのは容易なことじゃない。社会から、逃げることも容易なことじゃない。

でも、心の中の大事なところを、守り抜くことができれば、きっと道が続くと信じたい。



社会に合わせること、男に合わせて愛されているつもりになること、それもどれも、毒だ。


「だからいったでしょう」「あなたは、わたしがいないとなにもできないのね」「こんなことで失敗するなんて」「言ったとおりにしていれば失敗しなかったのに」と言われ続けると、失敗が恐ろしくなって、何もできなくなる。
でも、本当は、なんだってできる。失敗だって、たいしたことじゃないんだ。


失敗が恐ろしかったのは呪縛があったからだ。本当は、コントロール側の人間もたくさん失敗をする。それを人のせいにしているだけだ。
自分のせいにされて、すべての失敗を飲み込んでいたら、それは、生きる力も自己肯定感も弱くなるだろう。

でも、本当は弱いわけじゃない。
奪われているだけだ。
境界線を。


一つずつ、離れて、自分の手でやってみたら、何もかもそれほど大変じゃないことに気付く。


代わりにやるからと言われても拒否するべきだ。
本当は自分にもできる。失敗したとしても、またやり直せばいい。


失敗しない人生を恐れて、コントロールされ続けて、そして、失敗したら、人生をすべて奪われることになる。
人生は、自分のものだ。


失敗も含めて、自分でやってきた、やっていける、と思えることが自立だ。
自立を妨げるものは、すべて遠ざけよう。


自分でできるとわかったら、生きていく気力がわく。なんのために生きるのかという疑問の答えが、出てこなくても、生きていけるのだとわかる。


コントロールされているときには「なんのために生きているのか」が、ずっと頭をぐるぐるしていた。

今は、疑問にも思わない。
わたしは生きているから生きているのだ。
疑問の答えはわからないけれど、わからないまま、進んでいける。




自分のしたいこと、夢、夢じゃなくても些細な事、自分に対する贅沢や、楽しいことをしていくうちに、だんだん支配から離れても、生きていけるって、感じられるようになるんだ。

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