c71の一日

生活の記録

かわいさの梯子を下ろされるとき

かわいさは若いころ珍重されます。


わたしにとっては、いい思いとは言えないけれど、便宜を図ってもらえたり、ご飯をおごってもらえたりすることをメリットと考える人もいるみたいです。それに、周りに、意思を持たず、かわいらしくいることが、女の幸せと教えられてしまった人も存在するようです。


でも、人は一人で生きていくのが基本です。かわいくいると、就職には有利かもしれませんが、かわいさだけで入れる職業はあまり収入の伸びがよくなさそうです。かわいさを武器にしていくと、ある年齢で、梯子を下ろされるようです。


自分の意思を主張しないと、それはなかったことにされます。かわいさをめでる人は、自分にとって有利だから、心地いいから、そうしていただけであって、そのかわいらしい人のことを考えているわけではないようです。利己的な人と利己的な人との組み合わせですが、一方に意思のある利己的な人と戦えば、負けは当然です。



わたしは結婚したいと思わないのですが、結婚したいならしたいといったほうがいいです。
女としての幸せは、察してもらうこと、言わなくてもわかってもらって、自分の都合のよい世界を作ってもらうこと、という不文律をわたしも感じることはあるのですが、それは、わたしにとって幸せじゃないです。

わたしにとっての幸せは経済的に自立すること、近くにいる人を選ぶことです。


かわいさは、それと相反します。
かわいさの梯子はいずれ外されます。
そのとき、何の力も蓄えていなかったら……と思うとぞっとします。