c71の一日

生活の記録

あなたの幸せがわたしの幸せなの、は怖い

「あなたのためを思って言っているの」
「あなたの幸せが私の幸せなの」
「あなたが心配なの」

どれもこれも怖い言葉だ。

わたしも好きな人のことが心配になることがある。でも、それは、自分の問題だと思う。
行き過ぎると、支配になる。


「わたしのために思い通りになってくれることが、わたしの幸せ」になってしまいそうで、いつも気を付けている。


けれど、その抑制がもともとない人たちは、簡単に人の判断に踏み入ってくる。
地雷を踏み、感情を揺さぶってくる。かまってもらえなくなって来たら、自分がどれだけ不幸なのか、話を始める。
そうすると、こちらは、感情の渦に巻き込まれて、混乱する。いっそ、これだけ、相手に思われていて、自分の感情が動くのだから、相手に対して好意を持っているからなのかもしれない、と解釈してしまいそうになる。


けれど、本当は違う。


大人同士は、距離を保てる。話してもいいか、聞いてから話せる。相手の状況を考えて時間をとってもらって話せる。プロに話したってよい。


でも、それをしない人たちは、恐ろしい。
それが好意で、愛で、密なつながりだと思っているから。



わたしはおせっかいな人も怖い。こうしたら、ああしたら、と言ってくる人も怖い。
何もかも自分で決めたい。
プレッシャーになる。


そういう人は、わたしが幸せでも、自分の思っている「型」にはまっていないと、わたしが不幸だと言い立てる。
具体的には結婚や、子供や、そのほか。ふるまい。常識など。
そして「あなたが不幸だから、わたしは幸せになれない」という。
人生を奪われてしまう。

それがわたしの幸せだから、「あなた」の幸せは永遠にかなえてあげそうもないから、せめて視界から消えて、お互い、気分良く過ごそうと思う。