c71の一日

生活の記録

弱かったわたしたちがいた

わたしは、よく眠って、食べて、起きたのでずいぶんだいじょうぶになった。

分かってくれる人も増えた。


しかし、いくつか、勘違いをしている人がいる。


まず、これは陰謀ではないこと。
少なくとも、わたしはこれを何かの政治的な陰謀だと思っていない。


週刊金曜日も、被害者氏も、告発したのは、「噂になりつつも、情報がないため泣き寝入りしている女性たちがことあげできるようにするため」という大義があったためだ。


傷つきながら、週刊金曜日の記者氏も書いたようだし、被害者氏もやはり傷ついていた。それは間違いない。


ステマと書いてしまったが、購買数を増やしたい、というよりも、大きな注目を浴びて、たくさんの人に読ませたい、という善意があったと思う。陰で泣いている人たちのことを考えていたのだと思う。



(連絡をいまだにいただけないのは残念だ。そして、行き違いがあるだろうから、話し合いたいのだ)



生ログを出すなんて最低、という人がいたが、編集してある。読んでいないことがわかった。編集してあると二回も書いてあるし、読めば、編集してあることがわかるはずだ。


簡単に、ログの記録をとることができる。わたしたちは、一日かけてCSS、htmlと格闘した。
つまり、この形式だったら、誰でも編集できるということだ。
また、法の整備が追い付いていないため、最近実装された、グループチャットが私信扱いになるかどうかは、裁判を経ないとわからない。

わからないことのはずなのに、グループチャットは私信だから、公開したら違法だという人がいて、おかしく思った。
他人に違法だというには、根拠が必要なはずだ。しかし、根拠となる条文がない。判例もないはずだ。この前実装されたばかりの機能だし、ログは簡単に保存できる。


グループで話している記録が、私信なのかも不明だ。複数人で共有していることで、私信扱いされないのではないか?

何法の何条何項なの?民事なの?刑事なの?それもわかってはいないだろう。



根拠もなく、人を違法行為をしていると決めつけ、発信するのはそれもいじめだ。



読まずに、因縁をつけてくる人がいるのだなと思った。
それに、グループチャット内でいじめられた場合、公開することが許されなければ、いじめを告発することもできない。
わたしは、グループチャットでいじめを受けたから公にした。その前に、ちゃんと、連絡を取ってくれ、そうしたら出さないということも発信している。


彼らの期限に合わせていられないから、出したのだ。ちゃんと発信したのに、無視して、公開させたのは向こうの責任。


連絡が来ないことについて、わたしはとても不思議に思っている。被害者氏は本当に具合が悪いにしても、その支援者たちは、通常モードでツイッターをしている。信じて、支援者だと思っていた、被害者氏もかわいそうに。
特に、濁山ディグ太郎は、いまだにわたしを揶揄するようないじめ発言を続けている。やめてほしい。


わたしはそもそも、秘密を守る契約をしていない。だから、外野にとやかく言われる必然性もない。



わたしの属性を見て、差別発言をする人がいる。
自省を自傷だと言い換えて、「左翼のリスカ癖」と言っている。
病気の人にも、わたしにも失礼だ。右翼は、自省しないのか。そうだったら、やはり、マジョリティは幸せなことだなと思うが、わたしを傷つけないでくれと思う。




菅野氏をネトウヨに書いたことについて。
わたしの認識だと、天皇陛下、という言葉を使う人は右翼だ。左翼ではない。なんで、みんなわからないの?
ネットで活動している右翼だからネトウヨと書いた。なのに、そこで議論が巻き起こるとは思わなかった。わたしは、彼のツイートを見て、左翼だとは全く思わなかった。



わたしたちは、自省している。行き違いがあるから話し合いたいと思う。


わたしたちは弱い生き物で、すぐに間違う。だから、発言するなということも違うと思う。


わたしをセカンドレイパー、最低な女と、コメントをつけてきた人もいる。
そのコメントは、わたしを傷つけるために書いているのではないの?
わたしが性暴力被害者なのにわからないのか、となじっていたけれど、あなたはなんなの?
セカンドレイパー?サードレイパー?


あなたの意図通り、わたしの心をぐさっと刺し貫いたよ。
つまり、これで、あなたもいじめに加担できたということだ。




わたしが告発しなかったら、わたしの受けたいじめは、誰にも知られないで黙殺された。
わたしは自分自身で戦うしかなかった。


今までもそうだし、これからだってそうだ。自分が傷つけられたら、自分で戦う。
その過程で、いくらなじられたとしても、変わらない。
みんな、なじられることを恐れて、戦わない。それは、普段、傷つき、戦う者たちを、自分がなじって、貶めていることを、心のどこかで知っているからだ。もっとうまくやればよかっただの、自分なら気づいただの、後から言ってくる人は、当事者の気持ちが全然わからないのだろう。

こんな出来事に巻き込まれる度量もないのだろう。そういう人には誰も最初から相談しないから。



感情的であることと、理路を尽くすということは、両立するのだ。
多くの人は、対立概念だと思っているけれど、そうではない。


感情を貶めてはいけない。感情的な女というレッテルを貼ることもまた差別だ。

わたしは感情的に理路を尽くす。両立できる。
感情も気分も、様々な事情も、理屈を曇らせるものではないからだ。



弱かったわたしたちは、本当にみんな、助けたいと思っていたの。それだけは間違いがないの。

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