c71の一日

生活の記録

レイピスト

わたしは人生の中で何度か性暴力に遭っているが、一番長期的にレイプされたのは高校生の時だった。
高校二年生の時に、脅迫され、レイプされて、尊厳を失った。

わたしが性交渉に応じなければ、自殺するといわれて、わたしは拒否できなかった。
相手は、「好きな人がいる。その人は高根の花だから、お前なんて比較にならない」というようなことをずっと言っていた。
連れ込まれるのは主に相手の家だったので、相手のお母さんにも何度もあった。
彼女は、わたしが「ガールフレンド」なのだと思って、にこにこあいさつしてきた。


わたしはそのころ、ひどく混乱していて、「つきあっているのだ」「だからこういうこともするのだ」と思っていた。
たとえ、つきあっていたとしても、セックスは拒否できるのだ、ということを知ったのはずっと大人になってからだった。


レイピストの父にもあった。「俺の息子はイケメンだろう?」と言った。わたしには醜く見えた。
全然興味がなかった。
恋愛も、性交渉も、まだ興味がなかった。ずっと大人になってから、そういうことがあるのかもしれないと思っていた。
わたしは、無邪気に、結婚するまではそういうことはしないんだと信じていた。
結婚をして、子供を作るために、性交渉をするのだと信じるくらい、子供だった。


自分に起きたことが何か理解できなかったから、裁判を起こすとか、誰かに助けてもらうとか、そういうことも思いつかんかった。子供だったから。


わたしの体はまだ子供だったから、そういう準備もできていなかった。
体を引き裂かれて、傷ついて、お風呂場の中で泣いた。



わたしはセックスが嫌いなのかもしれない。今、あまりセックスしたいと思えない。
選べるから。今は、したいかしたくないか選べる。尊重されている。尊重されていると、したくない、と言える。


言えない時には、「セックスが好きなビッチ」を演じて、乗り切っていた。


わたしはよくののしられた。「そういう態度だから、俺もセックスをしてしまうんだ、誘うから」と言われた。
わたしは誘ってなんていなかった。


半年くらい続いた後、摂食障害や、不眠、離人症状が出た。同級生だったから、学校にも行けなくなった。
身体的にもいろいろな症状が出てきて、生きていくのが難しくなった。
死のうと思って、飛び降りる場所を探した。


それでも、体は生きてしまうので、今も生きている。
わたしは、自分の力で入眠することが今もできない。男の人の大声も怖い。
治らないのか、と思う。治癒したい。



レイピストの母は、レイプそのものには関係がなかった。でも、相手も子供だったから、監督責任があるんだよな、と今は思う。
わたしの異変に誰も気づかなかった。
今は言える。
でも、あのとき、誰かに相談できていたら、逃げることができたかもしれなかった。
大人になったわたしは、相談できたからと言って、またその先で侮辱されることも、ののしられることもありうるのだと知っているから、やはり誰かに相談することは選べないかもしれない。



わたしは、「下」の汚してもいい存在だから、選ばれた。わたしの意思は無視された。
あのとき、どうやっても逃げられない心理的な状況に追い込まれた。
だから、自分が嫌だといっていいことを知らなかった。
人は、大声を出せばいいとか、逃げたらいいとか、言うけれど、逃げられないような、心理状況に追い込まれることについて、よく知っていないんだろう。


身体的な暴力の威力だけじゃなく、狡猾な脅迫もある。
わたしを救うことができるのは、わたしだけなんだと、ずっと世の中や、恋人に、突きつけられてきた気がする。
わたしの気持ちをわかるのはわたしだけなのだと。
わたし自身の気持ちすら、わからないこともあるのだと。


ほかの事件では「どうして」と何度も聞かれたけれど、「どうして」わたしがそうしたか、わたしは説明できない。
鎖で縛られていたわけじゃないのに、逃げられなかったのはどうして……と言われても、心を鎖で縛られたことがない人には、何を言っても、わからない。