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c71の一日

生活の記録

他人がいい気分になるために、わたしは存在しない

以前入院した後、退院してから、父の家に世話になった。
そのとき、食事をときどき作るように言われたのだけど、食事のたびに毎回泣いた。
それは、切り方や、味付け、食材の処理の仕方にあれこれ言われて、「あなたのために言っているのよ」「あなたをよくするために言っているのよ」「食べる人のことを考えて」ときたからだ。


新玉ねぎのスライスをサラダに添えたら、塩もみしてから水にさらせと言われた。
元の家では、そのまま食べていたけど「家じゅうが玉ねぎ臭い」「辛くて食べられない」と言われた。
それがつらかった。



あの家にいるときはよく泣いていた。
泣かされるようなことを言われるから泣いているのだけど、泣くことが悪いみたいだった。
男物の服をよく渡された。

今日はドライブに行った。
お客さんが来て、運転してくださった。
美術館に行って、楽しかった。


知らなかった世界がまた開けた気がした。


親がいなくても、もう大丈夫などころか、いないほうが幸せに暮らせる年なんだなと思った。
親に感謝なんて、たぶん一生言わない。
好きな部分もある。愛着もある。それでも、会いたくない。
憎い。
憎さを持てあます。
でも、憎いという気持ちを、自分で持っていたい。
憎み切りたい。



日常的に動揺させられたり、中してくる人がいないだけで、とても楽だ。説教をして「あなたのために言っているのよ」とどこで役に立つのかわからないことを、自信をもって言われるよりも、何も言わない人がいい。


今でも、怒りが噴出して、眠れない日がある。
何もできない日もある。
会わないでいるしかない。憎しみに耐えるしかない。自分で抱えるしかない。



病気をしているときに「つらい思いをしていれば優しい人になれる」と言われたけれど、わたしの病気を自分のために利用するのか、と思って不快だった。
わたしが優しい人間になったとしても、誰かにやさしくするために病気になったわけじゃない。
わたしはただ単に運が悪くて病気になった。
そのことに意味づけをされたくない。
ただの体の反応や、不幸を、自分にとって都合の良い形に変えて、体験を奪おうとする人は嫌いだ。
わたしが病気でやむを得ず知ったことや得たことは、誰かに還元するためじゃない。
もちろん、わたしが還元したいときにするものだ。



優しい人間になれたからなんだというのか。
わたし自身が幸せにならないと意味がない。


道端の花に注目したり日常の小さいことに感動できるようになるといわれたが、もともとわたしは花に気づいたり、日常のことにうれしくなったりする質だ。
自分がそうじゃないからと言って、あとから感受性を身に着けたからと言って、自分をわたしに反映してくる人は、自分と他人の区別がついていない。



弱い立場にいると、劣っているとみなされて、自分は正常な人間でえらいと思いたがる人に、説教や助言のごみ箱にされる。
そうした人たちは、きっと、いい気分で眠るのだろう。


わたしは彼らをいい気分で眠らせたくないから、もう、会いたくないんだ。