c71の一日

生活の記録

朝起きられない精神病患者の生活にまつわるあれこれの経緯

今日は、めまいがひどくて起きられなかった。

多分温度がめまぐるしく変わるからである。

それと、二日前に精神科に行って相談した。

抑うつ状態にあると、朝は起きにくいようである。
だんだん回復するから、今は自分を責めなくていいと言われた。

これは多分、自分を責めても起きられるようにならないからなんだと思う。
本当に起きられるようになるかは、多分経験的にわかっていることだと思うから、わたしに本当に当てはまるかはわからない。

だけど、起きられるようになりますよ、と言うのが治療なのだと思う。

物忘れが最近ひどい。何かしている途中で、新しいことがあると忘れてしまうのである。
アルバイトはわたしの中で、最優先なので、あまり間違えることはないのだが、その他のことは、気が抜けるのか、よく間違える。
間違えると、情けなくなり、落ち込む。
退院してから、抗うつ剤が三倍になった。
そのせいか、先生に聞いてみた。
あまり、頭の中に引っかからなくなる薬を飲んでいるから、まあ、そういうことらしい。

確かに、落ち込んでも、それを長い間深く考えるのが難しくなった。
健康な人は、悩み事を長く考えなくて済む、という噂を聞いていたのだが、それがこういう状態なのか、と知って新鮮である。

わたしは、健康な精神状態というのを経験したことがない。

別の人生を送ったことがないので、当たり前である。
それと同じように、性暴力を受けなかった自分というのも、やっぱり考えられない。
(恨みつらみ、憎しみとは別の意味で考えられない。憎しみについてはいくらでも考えられる。憎しみと離れた自分をイメージできない、という意味)

だから、暗闇が怖かったり、朝起きられなかったりするのが、病気のせいなのか、それとも怠け者だからなのか、区別が付けられない。

ひどく疲れやすく、友達と会っても二時間くらいでぐったり疲れきってしまう。そういうことも、自分が怠け者だからか、病気だからかわからない。

だから、病院へは、自分の異常な家庭環境だとか、精神状況とは別の、新しい世界に出会いに行くことである。
第三の世界を作ることで、正常とは何か、学習していくことが大切だ。
それは、アルバイトをすることでもいいし、ボランティアでも、趣味でも何でもいい。

わたしは趣味がなかったので、こういう風にブログを書くことも、映画に行くことも、世界を広げるために、意識して進めている。
一ヶ月前には、自分を低く思う気持ちが強すぎて、「わたしは娯楽を享受することに値しない人間だ」と思い、趣味を作ることもできなかった。
わたしは、その気持ちを「自分が良くなることで、周りにかけている迷惑や心配を減らすことができるのだから、自分が娯楽に接することは必要なのだ」と言い聞かせて克服した。

PTSDの患者が、入院することはかなり難しいらしい。
それは、PTSDを受け入れられる病院が少ないからだ。
PTSDを診ることができる医師も少ないし、看護士も少ないらしい。それに、性暴力を受けた人に対する治療ができる人はもっと少ないらしいので、そうすると、性暴力とPTSDが複雑に絡み合った症状のわたしは、入院することができて幸運だった。