c71の一日

生活の記録

精神病患者が初めて朝起きられなくなった頃から、入院して自分を見つめ直すことになった話

わたしが初めて朝起きられなくなったのは、中学生のときだ。

突然、布団から体を起こすことができなくなったのである。
夜眠ることもできなくなり、突然、涙があふれるようになった。

その症状は、今でも続いている。

母親は、外聞や世間を気にする人だったので、精神科にかかることを「将来に傷がつくから」「就職のときに調べられて、後悔しても知らないよ」という言い方でだめだと言った。

実際には、そんなことはない。

今、入社する人間を興信所に頼むほど体力のある会社はそもそもないし、診療している事実が知られることがない。

知られても別にどうってことはない。

わたしの考えだと、早く精神科に行き、薬を出してもらい、薬を飲み、偏見から自由になり、精神療法やカウンセリングを受けて、自分が病気になった原因から逃げ出すことが回復になると思う。
鬱病患者は、その症状から、大きな決断をして、会社を辞めたり、離婚してしまったりしやすいそうだ。それは「気分を変えたいため」に行われることが多いそうだ。

ただ、病気が長引いたら、自分が病気になってしまった原因から離れることはした方がいい。
わたしの言っていることは、一般に鬱病患者に対するアナウンスと矛盾していることだと思う。
だけど、わたしのような一部の人にとっては、そこから逃げ出すという選択肢も、あった方がいい。

それが、あとで、失敗だったと思うこともあるだろうし、後悔することもあると思う。
特に、鬱病の人は、あとで、その失敗を長く後悔する種にしてしまいがちだから、わたしの言うことを丸ごと真に受けることには注意が必要だ。

だけど、人生は失敗の連続だ。失敗はしないに越した方が良いが、決断した方が良い場合もある。
少なくとも、わたしはそうだった。
わたしはわたしの経験したことしか言えない。

わたしの場合は、病気になった二つの要因があった。
暴力的な事件に相次いであったことと、慢性的に、異常な家庭に育ってしまったことがあった。
それによって、脳に大きな負荷がかかった。思考も価値観も、正常さだとかバランスを欠く事態に陥った。
それは、生活習慣病のようなものなので、改めなくてはならなかった。

二つの要因を自覚することができたのは、精神療法のおかげだ。

わたしは、母に問題があることを、早い段階でわかっていた。
それでも逃げられなかった。
愚かだったと思う。そのころ、母は、若かったのだから、捨ててよかったのだ。

そういうことに、気づくために、入院できたのは良かった。
それは、糖尿病患者が、教育目的のために入院するのに似ていた。

入院は、わたしが今まで体験した生活の中で、最も、落ち着いた生活だった。
また、入院したいくらいだ。